パリ和平協定締結41周年記念

41年前の1973年1月27日に、「ベトナムにおける戦争の終結と、平和回復に関する協定」(ベ トナム和平協定)が、パリ国際会議センターにおいて、ベトナム民主共和国、南ベトナム臨時革命政府、アメリカ合衆国、ベトナム共和国の4者によって調印され、パリ和平協定が翌28日に発効しました。

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この協定の締結に至るまでの交渉は、5年の期間にわたって行なわれ、かつてない最長のものとなりました。この間、202回の公開会議、24回の個別会議が行なわれてきました。パリ和平協定の交渉はベトナムとアメリカとの機知に富んだ戦いであると言われてきました。

パリ和平協定の締結により、アメリカは無条件でベトナムから軍を撤退させなければなりませんでした。党の優れた指導部は抗米救国路線を作り出しました。その他、世界各国でベトナム反戦運動が幅広く行なわれました。

当時の南ベトナム共和国臨時革命政府代表団長であったグェン・ティ・ビン元国家副主席は次のように語りました。

「テープ」BINH

「20年もの戦争にわたる、兵士と同胞の苦労を高く評価しています。数多くの人々が民族の独立自由の為に身を捧げていました。1968年のテト総攻撃、クアン・チ市解放、デェンビェンフー作戦の勝利などが無ければ、パリ和平協定はなかったでしょう。また、パリ協定が無ければ、1975年春の大勝利も、また、なかったのです。」

パリ和平協定の締結は、新たな段階を切り開き、1975年の南部完全解放と国の統一に有利な条件を作り出しました。

パリ和平協定の交渉とパリ和平協定は現在の状況における貴重な教訓を与え、大きな意義を持っています。パリ和平協定の教訓はベトナムの国際社会への参入とベトナムと相手国との関係の深化に寄与する貴重な要素であると見なされています。チュオン・タン・サン国家主席は次のように語りました。

(テープ) TANSANG

「最初の教訓は、党の優れた指導が外交戦線を切り開き、外交の強みを発揮し、総合力を作り出し、勝利を収めたということです。次は、国家・民族の利益の為に独立・自主外交路線を堅持し、ホーチミン主席の外交方針を正しく適用し、敵対する者を和平交渉に招く機会を活かすということでした。そして、大国間との関係を結ぶと同時に、世界各国の支持を呼びかけ、勝利を収めたということです。」

41年間が経ちましたが、パリ和平協定の交渉とパリ和平協定の価値はベトナムの建設防衛事業の史上にいつまでも存在しており、ベトナムの本領と知恵のシンボルでもあります。

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