バーディン広場

(VOVWORLD) -バーディン広場は、フランス植民地以前からあるハノイ王城の西門付近にあります。

バーディン広場はベトナムで最大の広場です。そこはベトナムの重要な行事や祝日に大規模なパレードや集会が行われる場所です。今から73年前の1945年9月2日、この広場でホーチミン主席はベトナム民主共和国の誕生を告げる独立宣言を読み上げました。バーディン広場は、フランス植民地以前からあるハノイ王城の西門付近にあります。

バーディン広場 - ảnh 1

20世紀の初頭、フランスがハノイ城を破壊した後、この一帯を整地して、ここにフランス人司祭プギニエール(Puginier)の名をつけた公園を造りました。この公園の周りにはいくつかの別荘や建物が建設されました。その後、これらの建物の中には国家主席官邸、党中央委員会の本部、外務省の本部となっています。

当初、バーディン広場は現在の形状とは異なり、ヨーロッパのロータリー(円形交差点)のような公園でしたが、フランスから独立後に「バーディン広場」と改名されました。

バーディン広場 - ảnh 2

1945年8月15日、日本が第2次世界大戦に敗北したことによって、一時期ベトナムを支配していた国が失くなりました。ベトナムは民族独立というその千載一遇の機を逃すことなく、「ベトナム民主共和国」臨時政府を樹立し、ホーチミンが国家主席となりました。ベトナムは奴隷の国から独立国家になりました。

独立宣言を読み上げる場所として、いくつかが選ばれましたが、結局、バーディン広場が選ばれました。これに関して、歴史学者ズオン・チュン・コク( Duong Trung Quoc) 氏は次のように語りました。

(テープ)

「その時、ホーチミン主席は独立宣言を読み上げるためバーディン広場を選んだ理由としてはホーチミン主席はベトナム国民だけでなく、世界各国にメッセージを送りたかったからです。独立宣言の終わりの部分に、ホーチミン主席はベトナムの独立の権利を再度強調しました。」

1945年9月2日、ハノイの各通りには旗、花の色で染められ、バーディン広場は人々で埋めつくされ、ホーチミン主席が独立宣言を読み上げる時刻をどきどきしながら、待っていました。

1945年9月2日の午後2時に、ホーチミン主席は国内のすべての人々と世界中に対し、「ベトナムは自由と独立を享受する権利があり、実際に、自由で独立した国となりました。ベトナム全国民は、この自由と独立を確保するために、すべての精神、力、生命、そして、財産を捧げる決意を固めます。」と宣言しました。

先ほどの歴史学者ズオン・チュン・コク( Duong Trung Quoc) 氏はさらに次のように語りました。

(テープ)

「ホーチミン主席が読み上げた独立宣言はベトナムの国家主席の意思であるだけでなく、全国民のコンセンサスを得ました。ホーチミン主席は1945年9月2日に選んだのはその日は日曜日で、大勢の人々を集めたからです。バーディン広場は全国民の力を結集する場所となりました」

バーディン広場の左右の幅は320メートル、縦が100メートルで、中央に高さ25メートルの国旗掲揚のポールがあります。その周辺にはホーチミン廟、英雄烈士の記念碑など神聖な施設があります。毎日、多くの人々がこの広場を見学したり、散歩をしたりしています。ハノイ市民の一人グェン・テイ・ロアン( Nguyen Thi Loan) さんは次のように語りました。

(テープ)

「9月2日のベトナム独立記念日がやってくると、このバーディン広場に行き、73年前に、この広場でホーチミン主席が独立宣言を読み上げた時刻を思い出します。この広場は広くて、見事です。祝日だけでなく、平日にもよくここに来ています」

73年が経ちましたが、バーディン広場はそのままの歴史的価値を保っています。ここは国の重要な出来事が行われる場所として今もなお便利されています。


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