ニャロン港

ホーチミン市にあるニャロン港はホーチミン主席の革命活動にまつわる有名な歴史遺跡です。今から100年前に、ホーチミン主席は救国の道を求めて、この港を出航しました。長年にわたり、国外で生活を送った後、ホーチミン主席は帰国して、ベトナム国民の民族解放事業を指導し、成功を収めました。今日、ニャロン港はホーチミン博物館の分館的存在として、国内外の多くの観光客をひきつけています。

ニャロン港 - ảnh 1


ベトナム語でニャは家、ロンは竜なので、ドラゴンハウスの意味になります。ニャロン港に面する建物はフランス植民地時代からホーチミン市に残された有数の建築物の一つです。この建築物は東洋と欧州の建築様式が調和されたものです。ニャロン港遺跡の観光ガイドトゥ・グェット( Thu Nguyet) さんは次のように語りました。

(テープ)

「この建物はフランス人が1862年~1863年までに建設したものです。そして、フランス風の建築様式です。特に、建物の屋根に、フランス人は陶器でできた二匹の竜が月に頭を向けるというイメージを飾り付けました。そのため、地元の住民をこの建物を「ドラゴン・ハウス」と呼び、そして、建物の前にある港をドラゴン・ハウスという意味のニャロン港を呼びました」

ニャロン港 - ảnh 2


フランス植民地時代にこの建物は王室輸送会社の本部でしたが、フランスがベトナムで敗北したあと、ベトナム共和国の政権に譲渡されました。ホーチミン市の観光ガイドミー・ハイン( My Hanh) さんは次のように語りました。

(テープ)

「昔のサイゴンについて言うならば、ニャロン港を抜きにして語ることはできません。かつて、ここはサイゴン市の有名な港でした。この港からホーチミン主席の別名であるバンバさんは救国の道を求めて出国しました」

1911年6月5日、バンバという名前でホーチミン主席はフランス海運会社が運行するアミラル・ラトゥーシュ・トレヴィル号に乗って、救国を胸にフランスへ旅立ちました。その後30年間にわたり、世界の多くの国々で生活を送ったあと、1941年に帰国し、母国での独立と自由を勝ち取るための闘争を指導しました。1945年9月2日、ホーチミン主席はハノイにあるバディン広場で独立宣言を読み上げ、ベトナム民主共和国が誕生しました。やがて南部が完全解放、祖国が統一された1975年に、このドラゴンハウスがホーチミン主席の記念館として保存されました。

ニャロン港 - ảnh 3


1995年、ニャロン港にあるホーチミン主席記念館がホーチミン主席博物館の別館として格上げされました。設立当初、この博物館は面積250平方メートルの一つの展示室しかありませんでしたが、現在、その展示室の数が9つになり、展示面積も14万8千平方メートルになりました。ここにはホーチミン主席にかかわる11300点の資料と品々が展示され、これらを通じて、来館者はホーチミン主席の革命事業と生涯を理解することができます。


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