歴史の証人・紅河にかかるロンビェン橋

ベトナム北部を流れる紅河にかかるロンビエン橋は、今から約百年前、フランス植民地時代に造られました。

歴史の証人・紅河にかかるロンビェン橋 - ảnh 1

現場の音

ロンビェン橋を建設する工事はフランスのDayde et Pille (ダイデ&ピル)社が落札し、1899年起工、1902年に完成した全長1.7kmの鉄橋です。1898年、インドシナ総督のポール・ドゥメルは「この橋は鉄でできていますが、ハノイで建設されることを配慮しながら、独特な設計にする必要がある」と言いました。この橋は当時インドシナ植民地の中で最大かつ最も美しい橋でした。国家筆一保管センターの幹部レ・フィ・トァン( Le Huy Tuan) さんは次のように語りました。

(テープ)

「当時、この橋は重要な意義を持っていました。インドシナ総督は植民地の開発のため、ハノイを始め、北部紅河デルタの各地から港湾都市ハイフォンへの交通網の整備に関心を寄せなければなりません。当時、ハノイとハイフォンを結ぶ橋は一本もなく、すべては船で運ばれていました。当初は鉄道に利用するため設計されましたが、陸路としての開発にも考慮しました」

歴史の証人・紅河にかかるロンビェン橋 - ảnh 2

起工から4年後、この橋が完成しました。この橋は総督の名をとり「ドゥメル橋」と呼ばれました。その頃、インドシナ総督は首都ハノイから中国との国境線までの鉄道も開通しました。それ以来、北部の人々の交通が大分便利になりました。そして、1945年、フランスの役人であるチャンバンライ医師はこの橋の名前をロンビェン橋に改名しました。“ロンビエン(龍編)”とは、”龍が躍る”という意味です。ハノイ市民であるブ・バン・ティン( Vu Van Thin) さんは次のように語りました。

(テープ)

「アメリカとの戦争中に、この橋にはアメリカ軍の爆撃機を撃つため、砲台が設置されました。1971年の大洪水時には、紅河の水位がこの橋を超えました。この橋は竜を模したもので、私にとって最もロマンチックで、美しい橋です」

技術の発展と人口増加により、ロンビェン橋が建設されてから20年後、フランス植民地政権はロンビェン橋の両側に道路を付設して建設しました。車やバイク、自転車用の道路幅は2メートル、歩行者用の道路幅は1メートルです。

歴史の証人・紅河にかかるロンビェン橋 - ảnh 3

当時発行された「'Eveil economique 」387号によりますと、ロンビェン橋と平行する紅河にかかる2番目の橋の建設を提案しましたが、フランス植民地政権はこの提案を実施しませんでした。先ほどの国家保管センター筆一の幹部レ・フィ・トァンさんはさらに次のように語りました。

(テープ)

「この橋を建設した時、フランス植民地政権の目的は植民地を開発するためのものでしたが、この橋は北部の交通に重要が意義があり、現在も維持、保存される必要があります。現在、この橋は歴史的文化的価値があります。この橋は歴史の証人でもあります」

現在、ハノイを流れる紅河にはチュオンズオン橋、タンロン橋、タインチ橋、ニャッタン橋など、多くの近代的な橋が建設されましたが、100年以上の歴史を持つロンビェン橋を利用する毎日、紅河を渡る人々が多くいます。現在、ロンビェン橋は首都ハノイに欠かすことのできない文化的価値の一つとして見なされています。

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