リクエスト音楽、リクエスト音楽の時間がやって参りました。
お元気ですか、皆さん、トゥハーです。
この間、リスナーの皆さんから、いろいろなお手紙を頂きました。その中で、福岡県、岡垣町のホカムラフミトさんからは「ベトナムの労働者の喜びと汗の歌をリクエストします」のお便りがありました。
リスナーの皆さん、お便り、どうもありがとうございました。
今日のこの時間はベトナムの労働者をたたえる歌をお届けします。
ベトナム北部クァンニン省にはベトナムの最大の炭鉱があります。その地方には、数千人の炭鉱労働者が一生懸命働いています。1951年、作曲家ファンバン(Hoang Van)がクァンニン省の炭鉱労働者を讃える歌を作曲しました。でははじめに「私は炭鉱労働者」(Toi la nguoi tho lo)をどうぞ
「私は鉱山に生まれた炭鉱労働者
ハッパの音を目覚ましに、時計代わりに
機械の音を子守唄代わりに育った
さあ今石炭を堀りに坑内に入ろう
坑内で日々の暮らしの音を聞こう
実った稲田の上を飛ぶ鳥の鳴き声
学校に通う子供たちの笑い声
坑内の私は宇宙の真ん中にいる」
ベトナム戦争が終結して1年後の1976年にベトナムの人々は国の復興事業に力を注ぎました。全国各地、どこでも建設工事が見られました。当時、作曲課グェンバンティ(Nguyen Van Ty)さんは中部各省を訪れ、新しい用水路を造る労働者の苦労や汗に目をして感動しました、そして、生まれた歌「用水路を造る人々」(Nguoi xay ho ke go)をどうぞ
「私は土が好きだから
用水路を造る仕事が楽しい
用水路を造って青い水を流そう
故郷を水と緑で豊かにしよう
共に土を掘り、用水路を造ろう
用水路を造りながら私も一人前になる」
戦争の時代に、ベトナム各地の人々は南の戦場へ食糧と武器を支援するため、全力を挙げて取り組みました。当時に、中部高原地帯の各村落で、少数民族の人々は毎晩、夜中まで、戦場に送るための米を作っていました。作曲家スァンホンはベトナムの少数民族の人々の愛国心を描いた「米つき歌」(Tieng chay tren soc Bom bo)を作曲しました。お聞きください。
「ランプの下で、ボンボー地区の人々が米を搗いている
子供をハンモックにねかせて、米を搗いている
昼間は野良仕事、時間はない
アメリカ軍との戦いに大量の米が要る
ボムボー地区の人々は愛国心に燃えている」
いかがでしたか、皆さん、今日はベトナムの労働者を讃える歌をお届けしました。それでは今日のリクエスト音楽はこれで終わります。来週のこの時間をまたお楽しみ。ごきげんよう。