ファムトゥアン中将の物語り

ベトナム航空発展史を見れば、戦争時代にB52型超大型の戦闘爆撃機を撃墜させたパイロットであり、宇宙に飛び込むアジア地域の初の宇宙飛行士でもある人物を誰もが知っています。その人は「ベトナム人民武装勢力の英雄」であり、「労働英雄」である、「宇宙飛行士英雄」というみつの称号を与えられたファムトゥアンさんです。ハノイ上空デェンビェンフー作戦の勝利40周年を記念するにあたり、フムトゥアン中将の物語をお聴きいただきましょう。

ファムトゥアン中将の物語り - ảnh 1

1965年7月、故郷タイビン省を後にしてファムトゥアンさんはベトナムで飛行士候補者選抜試験に落ちましたが旧ソ連に留学したトゥアンさんはレーダー技術を学び、そして、戦闘機パイロットになるという彼の夢は、現実になりました。

トゥアンさんは幼い頃の思い出を振り返り、次のように語りました。

(テープ)

「北部タイビン省に生まれた私は子供の頃に 空を飛んであげみたいという夢を追いかけました。そして戦争になりました、私は入隊しました」

旧ソ連で戦闘機パイロット専門学校で卒業した後、1967年に帰国したトゥアンさんはベトナム北部の空域を防衛する赤い星という空軍部隊のパイロットとなりました。1972年12月、アメリカ空軍のB52戦闘機は首都ハノイ、港湾都市ハイフォンに空爆を行い、2万トンの爆弾を投下しました。

当時、B52戦闘機と戦闘機「F111―A」は編成を組んで、ハノイの上空を飛び回っていたので、その戦闘機編成を良く捉えるレーダーがありませんでした。しかしハノイの防空部隊はアメリカ空軍による攻撃に強く抵抗しました。これにより81機のB52戦闘機を撃墜されました。その上、アメリカ空軍の攻撃による大きな被害を受けたベトナム空軍のミグ戦闘機は暗闇の時機を待って、北部山岳地帯の農場にある空港から静かに離陸して、敵の戦闘機に不意打ち攻撃をかけました。

ファムトゥアン中将の物語り - ảnh 2

当時、トゥアンさんのミグ21戦闘機を導いたブバンチェン大佐は次のように語っています

(テープ)

「当時、ディントンとファトゥアンという二人の優秀なパイロットは夜間に飛行して、敵の戦闘機に攻撃をかけました。1972年12月18日の夜に、ファムトァンさんの戦闘機は敵の戦闘機編成隊の中に突入して、ベトナム空軍のほかのミグ戦闘機と共に勝利を獲得しました」

12月27日までに、トゥアンさんのミグ21戦闘機はアメリカ空軍のB52戦闘機を始めて撃墜しました。トゥアンさんは次のように語っています。

(テープ)

「戦闘機がベトナムとラオスとの空域に飛んで込んだ時、我が戦闘機は空軍司令部の命令を受けて出撃しました。1972年12月27日の夜に、我が戦闘機はハノイ郊外の上空でB52戦闘機を撃墜させました。その勝利は当時、ベトナム空軍兵士の戦闘意欲を鼓舞したものです。」

当時、アメリカのマスメディアはこうした勝利をベトナム空軍の奇跡をたたえるニュースや記事として伝えました。

40年が過ぎましたが「ファムトゥァン」という名を持つ英雄は1980年7月、アジア地域の宇宙飛行士、ベトナム空軍部隊の中将になり、65歳で退職しましたが1972年12月の彼の大きな功績はベトナムの歴史に永遠に輝き続けることでしょう。

 

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