勝利を勝ちとった全人民の力

1972年末, ベトナムとアメリカはベトナムでの戦争を終結させ、平和を回復するための協定で合意しましたが、アメリカ側は約束を守らず、1972年12月18日から29日にかけての12日間ハノイ上空で大規模な空爆作戦を行いました。

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アメリカの爆弾で一部分倒壊したロンビエン橋

当時、この12日間だけでも、アメリカ軍は663回にわたり、B52戦闘爆撃機を3920回にわたり戦闘機で、ハノイ、港湾都市ハイフォンなどの北部の主要な都市に攻撃を加えました。特に、ハノイでは1万トンの爆弾が投下されました。最も人口密度が高い市内のカムテン通りはB52戦闘爆撃機による大きな被害を受け、2千軒の家やお寺、学校が破壊され、287人が死亡、290人が負傷しました。そのほか、B52はハノイ市内のバクマイ病院、ザラム区、エンビエン区、アンズォン区などの100箇所に空襲を行い、千人が死傷しました。

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アメリカの爆弾で倒壊したバクマイ病院

ベトナム軍事研究院の歴史研究者、レディンシー大佐は次のように語っています(テープ)

「当時、私は首都ハノイの命を心配しました。B52戦闘爆撃機は極めて現代的なものと思われましたが1972年18日から24日までの空襲の状態を見て、アメリカ軍の力はそんなに強くなかった。 ベトナムはアメリカ軍による攻撃に抵抗する可能性がありました。」

レディンシー大佐はこのように語りました。

「ラインバッカー2」という名のアメリカ軍の空爆作戦はベトナム全民族の戦闘意欲を失わせるために行われました。当時、アメリカのは「ベトナムを石器時代に戻す」と豪語しました。しかし、実際はまったく違ったのです。ベトナム防空部隊はアメリカ軍による攻撃に強く抵抗し、多くのアメリカの戦闘機が撃墜されました。ニクソン大統領は「その日々に私はベトナム戦争に関連して反米的性格の強い反戦運動の広がりに心配しましたがB52戦闘爆撃機の撃墜による大きな損害への配慮はそれよりもずっと重なったと承認しました。

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人口密度が高い市内のカムテン通り

先ほどのレディンシー大佐は次のように語っています。「テープ」

「上空ハノイでのディンビエンフー作戦の勝利はベトナム全人民の総合力の表われです。この勝利はベトナム人民軍の防空部隊と人民の民兵とハノイ市民の市民の緊密な協力を表すものでもあります。当時、全てのベトナム人民は力を合わせ、アメリカのB52戦闘爆撃機と戦いました。共産党の指導の下、ベトナム人民は心を一つにして、如何なる敵軍や如何なる近代兵器であろうとを打ち破ることができました。」

レディンシー大佐はこのように語りました。

当時、全世界がベトナム戦争へ視線を向けていました。とりわけ旧ソ連や中国をはじめとする多くの社会主義諸国からの様々な貴重な支援を受けていました。平和を愛する世界各国は、アメリカ帝国主義とニクソン大統領の軍事戦略を強く批判しました。

レディンシー大佐は次のように語っています(テープ)

「当時、数多くの外国人の軍事研究家はなぜ、ベトナムはアメリカに勝てたかという研究テーマに力を注ぎました。アメリカは軍事面では強国ですがベトナムは貧困でした。ベトナムがアメリカに勝ったことは想像しがたいことです。ベトナム戦争を語る上で、「ゲリラ戦」を抜きに語ることはできません。そうした「ゲリラ戦」で、ベトナム・全民族は国の独立のために、身を捧げ、世界の最新兵器の戦闘機と戦う用意がありました」

レディンシー大佐はこのように語りました。

「上空ハノイでのディンビェンフー作戦」の勝利はあらゆる時代におけるベトナム民族の総合力を証明するものです。ベトナム共産党の優秀な指導の下、ベトナム国民は社会主義諸国や世界民族解放運動からの熱烈な支援を得て、アメリカに勝利し、祖国の平和を勝ちとりました。

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