1972年12月アメリカ軍の空爆で殺害された人々を偲ぶ式典

26日午前、ハノイ市ドン・ダ(DongDa)区にあるカム・テェン(KhamThien)記念碑台で、1972年12月アメリカ軍の空爆で殺害された人々を偲ぶ式典が行われました。

1972年12月アメリカ軍の空爆で殺害された人々を偲ぶ式典 - ảnh 1

1972年12月に、アメリカ軍はB52戦闘機でハノイとその周辺を標的にして、最大規模の空爆を行いました。12月26日夜の空爆では、過密居住地のカム・テェン通りが全壊しました。さらに、290人が負傷、278人が死亡しました。死者の中に、女性91人、高齢者40人、子供55人がいました。カム・テェン通り51番地の家は爆弾の穴となり、その家に住む7人とも死亡しました。現在、その地点はカム・テェン記念碑台となっています。

式典で発言に立ったハノイ市共産党委員会のファム・クアン・ギー委員長は「ハノイ上空デェン・ビェン・フー作戦の勝利はベトナム民族の建設防衛事業における不死の英雄の歌である」と強調しました。

一方、線香を手向けたハノイ市民の一人であるグェン・トウ・ガさんは次のように語っています。

(テープ)

「私はこの辺を通るたびに、頭を下げて行きます。カム・テェン記念碑台だけでなく、戦没者慰霊塔を通るときは、犠牲者の霊を偲ぶために頭を下げるよう子供と孫に常に教えています。これは、今日のような素敵な生活を与えてくれるために、身を捧げた人々の貢献を心に残すためのことです。」

ガさんはこのように語りました。

他方、26日午前、ホーチミン市の第7軍区博物館で、「ハノイ上空デェン・ビェン・フー作戦の勝利」をテーマにした写真展が開幕しました。この写真展2013年1月10日まで開かれます。

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