外国人の目で見たディン・ビエン・フー作戦の勝利

1972年のハノイ上空ディエンビエンフー作戦はアメリカ帝国主義者の空爆を失敗させたベトナム北部の軍隊と国民のすばらしい勝利と評されています。国際社会はこの勝利の意義を高く評価するとともに、アメリカ軍のハノイ空爆を厳しく糾弾しました。

ベトナム戦争中にベトナムで活躍していた旧ソ連の軍事顧問団元団長のアナトリ・キュペネン将軍はこの作戦を旧ソ連のスターリングラード作戦に例えました。また、1972年にハノイに活動していたロシアの元軍事専門家のビクトル・イバノビッチ・フィリッポ将軍は次のように話しました。

(テープ)

「ベトナム民族は勇敢な民族です。アメリカ軍は爆弾で皆さんの頑強な意志を屈服させようとしましたが、苦い教訓を受けました。また、皆さんの闘争は自国の独立、自由のための戦いですが、アメリカが発動した戦争は侵略です。更にベトナム国民は祖国を防衛した際、アメリカをはじめ、世界各国の国民の支持を得ました。ベトナムは独立を勝ち取る闘争の象徴となっています。」

フィリッポ将軍はこのように話しました。

一方、アメリカ情報安全保障監督局・ベトナム資料情報プロジェクト担当者のジョン・プラドス博士はアメリカ軍の敗戦の原因について次のように語りました。

(テープ)

「ベトナム北部はアメリカ軍の動きを正確に予断しました。それで、彼らはハノイの防衛を準備するとともに、住民を非難させ、死傷を最小限に抑えました。北部の防空部隊はアメリカ軍によるハノイ、ハイフォンなどの空爆を想定し、周到に演習しました。また、当時、北部の防空システムはアメリカの戦闘機に効果的に対応できました。こうした中、アメリカは適切な計画を作成できなかった上で、ベトナム北部の防衛能力を見極めませんでした。」

プラドス博士はこのように語りました。

また、アメリカの多くの復員軍人はハノイ空爆作戦を強く批判しました。看護婦として勤めたスサン・スチョルさんは次のように語りました。

(テープ)

「1967年から1969年までアメリカ海軍の看護婦として勤めました。自分が他国を破壊する軍事機器の一部分となったことが分かりました。アメリカ人とベトナム人が負った損傷を目にしました。アメリカ政府は一般人、堤防などの空爆を命令し、ベトナム人が食糧不足や洪水に見舞われました。アメリカの行為は誤ったものです。」

スサン・スチョルさんはこのように語りました。

西洋諸国は「上空ハノイ・ディエンビエンフー作戦の勝利が支配的な姿勢で交渉に臨むというニクソン政権の陰謀を失敗させ、アメリカがパリ和平協定を締結し、ベトナムから撤退せざるを得ないことにつながったとともに、南部解放・国家統一事業に前提を作り出した」と評価しました。

 

 

 

 

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