ホーチミン主席をたたえる歌(2)


 
ご機嫌いかがですか、皆さん、トゥハです

まもなくホーチミン主席の誕生日がやって来ます。

先週、音楽メロディーを通じて、皆さんはホーチミン主席の幼いころについての物語を描いた歌をお聞きいただきました。今日のこの時間は引き続き、ホーチミン主席の生涯と革命事業への道のりを描いた歌をお届けします。ホーチミン主席が青春時代の名を「グェンアイコク」すなわち「愛国」と言いました。1911年、彼は救国の道を探るため、当時のサゴン市、現在のホーチミン市、ニャロン港を出航し、フランスに向かいました。

ではまず「ニャロン港への思い出」(Tham ben nha Rong)をどうぞ

30年間にわたり、ホーチミン主席はヨーロッパ、アジアなどの多くの国に足を運んで、革命活動を行ないながら、マルクス、レーニン主義を研究していました。1930年に、ホーチミン主席はベトナム共産党を創立して、1945年8月、ホーチミン主席の指導の下、ベトナム共産党と国民はフランス軍から国の独立を手にしました。そして9月2日、ホーチミン主席はベトナム民主共和国を生誕させる独立宣言を読み上げました。

次に「ホーチミン主席・必勝の信念」(Nguoi la niem tin tat thang)をどうぞ

しかしフランス軍は1946年にベトナムを再び侵略しました。その後9年にわたるフランスとの戦いの時代に入ります、ホーチミン主席の傑出した指導の下で、1954年5月にベトナム国民はディエンビエンフー作戦でフランス植民地支配を終止符に打ちました。1960年代に、ベトナムはアメリカ軍との戦争の激しい歳月を潜り抜けました。1969年9月2日、ホーチミン主席が79歳の生涯を閉じた日です。国の統一の日を見えるという夢を抱いたホーチミン主席は遺書を書いて、その中で、自分の遺体を火葬にして、遺灰の一部をベトナム南部で埋めてもらいたい」と助言しました。しかし、1975年4月に南部が解放されてからの1976年に、ホーチミン主席の遺体がハノイに運ばれて、ベトナム首都の中心地、バティン広場にある大きな廟に置かれるガラスケースの中で眠っているように安置されてきます。その偉大な英雄、ホーチミンの姿はベトナム国民の一人一人の心の中で永遠に行き続けることでしょう。

最後に、「ホーチミン主席の廟を訪れる」(Vieng lang Bac)をどうぞ

いかがでしたか、皆さん、今日はホーチミン主席の生涯と革命事業を描いた歌をお届けしました。それでは今日の音楽散歩道はこれで終わります。来週、またお会いしましょう。

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