ファン・ボイ・チャウ氏生誕150周年記念式典

(VOVWORLD) - ファン・ボイ・チャウ氏はドンズー運動の提唱者であり日本との深い関係がある人物です。

16日、中部ゲアン省ビン市で、20世紀初めにベトナム人青少年を日本に遊学させようというドンズー運動の提唱者であり日本との深い関係があるファン・ボイ・チャウ氏の生誕150周年記念式典、および、ファン・ボイ・チャウ氏の記念区を国家の特別な遺跡に登録する認定書の受領式が行われ、ブオン・ディン・フエ副首相らが参列しました。

ファン・ボイ・チャウ氏生誕150周年記念式典 - ảnh 1 ファン・ボイ・チャウ氏の記念区を国家の特別な遺跡に登録する認定書の受領式(写真:Baonghean)

式典で発言にたったフエ副首相は、「ファン・ボイ・チャウ氏が80年前なくなったが、ベトナムの革命事業や、文化保存・発展事業への多大な貢献は忘れられない。また、ファン・ボイ・チャウ氏が築いた日本や、中国、タイの人々との良好な関係も貴重な財産となっている」と強調しました。

これに先立つ15日、同市で、ゲアン省人民委員会はハノイ国家大学、日本の国際交流基金、早稲田大学と連携して、「ファン・ボイ・チャウ氏・浅羽左喜太郎医師及びベトナム・ 日本友好関係」をテーマにしたシンポジウムを共催しました。

ご感想

Ootani Mitsuhiro

こんばんは。
ファン・ボイ・チャウが日本に漂着して日本人と交流を持つお話は近年日本でテレビドラマにもなりましたね。
当時小生もテレビで見まして、日本人に命を助けられ、親切にしてもらったけれども日本がすでにフランスと国交があったために「ベトナム人に武器の供与はできない」と断られてもなおベトナム独立の方法を模索された人としてホーチミンと並ぶ愛国者であったことに感動しました。
他にも、日本軍が1945年8月15日に武装解除されたのち、ベトナムに残った一部の日本人はすぐに帰国せず、中国やソ連が軍事的な支援をするようになるまではベトナム人に協力してフランスとの戦いでフランス軍を苦戦させたという話があったことも聞いています。何かの折にベトナム独立に命をささげた日本人たちのことも
取り上げてください。

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