30日午後ハノイで、「ハノイ上空ディェン・ビェン・フー作戦の勝利40周年」を記念する活動を総括する会議が行われました。
1972年のハノイ上空ディエンビエンフー作戦はアメリカ帝国主義者の空爆を失敗させたベトナム北部の軍隊と国民のすばらしい勝利と評されています。
1972年12月の半ばから12日間にわたってハノイで行なわれたアメリカ軍の空爆に対するベトナムの抵抗は勝利を収め、アメリカ軍のB52戦略爆撃機による攻撃を敗北させました。
26日、ハノイにある国立図書館で、「国内外の資料で見るハノイ上空ディンビェンフー作戦の勝利」をテーマとした展示会が開幕しました。
ベトナム歴史は国の建設防衛事業を描いた偉大なページです。ベトナムは様々な戦争に直面してきましたがベトナム国民は一心となり、団結して、敵軍を抵抗して、勝利を獲得しました。
26日午前、ハノイ市ドン・ダ(DongDa)区にあるカム・テェン(KhamThien)記念碑台で、1972年12月アメリカ軍の空爆で殺害された人々を偲ぶ式典が行われました。
25日夜、ハノイで、ベトナム防空空軍司令部の主催により、「ハノイ上空デェンビェンフー作戦の勝利」をテーマにした作文コンクールの受賞式が行われました。
20日、ハノイ防空師団、いわゆる、師団361号は「ハノイ上空ディン・ビェン・フー作戦」勝利40周年を記念する式典を行いました。
ベトナム航空発展史を見れば、戦争時代にB52型超大型の戦闘爆撃機を撃墜させたパイロットであり、宇宙に飛び込むアジア地域の初つの宇宙飛行士でもある人物を誰もが知っています。
1972年12月の終わりに、アメリカ空軍はハノイ市に大規模な空襲を行い、花作りで有名なゴクハ村もその空襲による被害を受けました。当時、アメリカの超大型戦略爆撃機B52がハノイの空軍部隊によって撃墜され、ゴクハー村の湖に墜落しました。
1972年12月19日午前、アメリカ空軍はハノイ市のメーチ地区にあるベトナムの声放送局の送信所に大規模な爆撃を行いました。アメリカ軍による空爆の前に判断したメーチ送信所の60人の幹部、技術者は放送設備を安全な場所に移動させました。
28日午前、ハノイで、「ハノイ上空ディエン・ビエン・フー作戦の勝利・ベトナムの知恵と本領」と題する科学シンポジウムが開催されました。
21日午前、ハノイで、軍事図書館は「上空ハノイ・デンビェンフー:20世紀の叙事詩」をテーマにした書籍展示会を開催しました。
ベトナム戦争が終結してから40年が経ちましたがベトナムの人々は1972年12月のハノイ上空でアメリカの大規模な空爆を忘れることができません。
1972年末, ベトナムとアメリカはベトナムでの戦争を終結させ、平和を回復するための協定で合意しましたが、アメリカ側は約束を守らず、1972年12月18日から29日にかけての12日間ハノイ上空で大規模な空爆作戦を行いました。
1972年12月18日から29日にかけて、ハノイは、アメリカ軍の大規模な空襲を受けました。合わせて一千機もの軍用機が動員され8万トンの爆弾が投下されました。