ディエンビェンフー作戦勝利、ベトナムの力を示す

(VOVWORLD) - ディエンフエンフー作戦の勝利から68年経ちましたが、この作戦に参加した元軍人らをはじめベトナム全国民の記憶は消えていません。

フランスのアンリ・ナヴァール将軍を含め、フランスとアメリカの軍事専門家によりますと、ディエンビエンフー市は盆地地形であり、稜線内に関しては火制できると期待されました。また盆地の大きさを考慮すると、迫撃砲や無反動砲程度では稜線外から盆地中央部を攻撃することは困難です。

また、ベトナム軍は輸送手段が限定されているために、これ以上の重火器を投入することは困難であると判断されていました。そのため、1953年11月から、フランス軍はディエンビンフーに1万6千人の兵士を送り込み、要塞に立てこもりました。彼らは「貧弱な武器しか持っていないベトミン軍は、大砲があってもロクに使いこなせない」と判断していました。また、「盆地を取り巻く山々に大砲を運ぶ技術も軍事知識もない」と考えていました。

しかし、ベトナム側は、ディエンビエンフー作戦は戦略的節目となり、長年、続いているフランス植民地主義者との闘争を終結させる可能性があることを認識したうえで、ホーチミン主席とベトナム共産党中央委員会はディンビエンフー作戦を実行すると決定しました。1954年3月3日、ディンビエンフー作戦が始まり、56日間続きました。

ベトナム軍はジャングルを切り開き、自転車、馬、手押し車などを使う戦術によって、大小500門近い高射砲、迫撃砲、榴弾砲、および、その他の武器と食料を山の上に引き上げるという対処方法をとったのです。ディエンビエンフー作戦で、フランス軍はベトナム軍の進攻に驚かされました。フランス側はベトミン軍が105mm榴弾砲や75mm榴弾砲、重迫撃砲数百台を所有し、数万人の大兵力をディエンビエンフー周辺に配置したことを想像できませんでした。

戦争の局面を変えた要素は様々ありましたが、その中に、ベトナム共産党の知恵、本領、指揮部の正確な戦術、軍隊と国民の団結と各国の支援がありました。こうしたディエンフエンフー作戦の勝利から68年経ちましたが、この作戦に参加した元軍人らをはじめベトナム全国民の記憶は消えていません。そして、この勝利はベトナムの力を示す典型的な証とみられています。  

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