ベトナムの民族和合精神


ベトナム戦争後、サイゴンかいらい政権の多くの高官や、幹部、職員は海外に亡命せず、国内に引き続き住むことを選びました。過去のことを棚上げにして、全国民はこれらの人々とともに、力を合わせ、国の発展事業を進めてきました。これはベトナムの民族和合精神を示すものとされています。


ベトナムの民族和合精神 - ảnh 1

ホーチミン市ゴーバップ区に住むグエン・バン・フンさんは、サイゴンかいらい政権の軍隊の士官でした。戦争後、2年間の政治教育を受けた後、家族の元へ戻り、ビジネスを行ってきました。現在、フンさんはファストフード店経営者となっています。

フンさんの話です。

(テープ)

「当局者は強制しませんでした。戦争が終結してからこれまで、生計を立て、子どもを育ってきました。現在、国は大きく発展し、政治が安定していますね。したがって、私の子供も多くのチャンスがあります」

サイゴンかいらい政権の元幹部ファン・ホアン・ゴック・トゥエットさんもアメリカに亡命せず、1975年4月以降からこれまで引き続きホーチミン市に住んでいます。トゥエットさんは「当局と隣の人々から無差を受けてたことがない」と明らかにし、次のように話しています。

(テープ)

「過去のことを忘れ、将来に向かう必要があると思います。私たちの子どもは枯葉剤を浴びましたが、政府から支援を受けています。毎月の手当のほか、医療保険料も支援されています。また、お正月のプレゼントや、バス運賃免除などの優遇措置を受けています。」

フンさんとトゥエットさんだけでなく、サイゴンかいらい政権の多くの高官や、幹部、職員、将校も国の発展事業に貢献してきました。

ホーチミン市の児童病院2号のチャン・ドン・ア元副院長はその中の1人です。南部が解放されて以来、フンさんは外国に亡命せず、第2児童病院で仕事をしてきました。これまで、アさんは数千人の身体障害児を治療してきました。中でも、下半身がつながった結合双生児として産まれたベトさんとドゥクさんの手術があります。自らの貢献で、アさんは国家から「人民医師」と「労働英雄」という高貴な称号を授与されました。

アさんの話です。

(テープ)

「戦争の残酷さで、平和は来ないと思ったこともあります。でも、1975年4月30日に、平和が来ました。私の夢が現実になったので、母国に住むことに決めました。党と政府は、民族和合・和解、国際社会への参入という政策を実施していますので、国外在留ベトナム人の多くは母国に帰ってきましたね。私の友達も帰ってきましたよ。“ベトナム民族は1つで、ベトナム人は1つである」という言葉は本当ですね」

現在の国民の平穏な生活は「民族和合」というベトナムの政策の正しさを示しています。そして、今後もこの政策がさらに国の発展事業に寄与していくのは間違いないでしょう。

 

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