南ベトナム共和国臨時革命政府の本部の訪れ

(VOVWORLD) -ベトナムにおける戦争の終結と、平和回復に関する協定であるパリ和平協定が1973年に調印された後、中部クアンチ省カムロ県で南ベトナム共和国臨時革命政府の本部が開設されました。
南ベトナム共和国臨時革命政府の本部の訪れ - ảnh 1南ベトナム共和国臨時革命政府の本部の遺跡

南ベトナム共和国臨時革命政府は、アメリカに支援された反共国家であるベトナム共和国に対抗するため、南ベトナム解放民族戦線、民族民主平和勢力連合、人民革命党が主体となって、1969年6月8日に樹立された地下政府でした。

当時、ベトナムの独立を勝ち取るための闘争が熾烈を極めていましたが、クアンチ省が解放され、社会主義を建設している北部と闘争が続いていた南部を結ぶ地方となりました。

1973年初めに、セメント、鉄鋼などの建設資材が北部からクアンチ省へ運ばれたほか、中部ゲアン省の建設会社8号の幹部や労働者500人も派遣されました。25日間にわたり、南ベトナム共和国臨時革命政府の本部となる建物が建設されました。

本部の敷地内の総面積1万7千平方メートルのこの建物は2つのエリアに分けられ、中には政府、外務省の執務室、食堂、外国大使の宿泊施設、記者や政府幹部、職員の執務室と宿泊場所などがありました。敷地内には多くの木々が植えられています。

1972年~1975年の時期に、カムロ県の民族解放戦線委員会の議長を務めたグエン・コン・ドアンさんは北緯17度線の南方にあるカムロ県で南ベトナム共和国臨時革命政府の本部を建設することは重要な意義があり、戦場における人民軍の主導権を示していると述べました。

今日、ドアンさんは南ベトナム共和国臨時革命政府の本部を訪れた際、1973年6月6日、南ベトナム共和国臨時革命政府が樹立された瞬間を生き生きと思い出したそうです。ドアンさんの話です。

(テープ) 

「国が完全に開放されていないのに、南ベトナム共和国臨時革命政府がクアンチ省カムロ県で設立されたことを目撃し、本当に嬉しかったです。当時、人民軍と人民はとても喜びました」

カムロ県に置かれた本部から、南ベトナム共和国臨時革命政府は南部の人民を指導して、国の独立を勝ち取るための闘争に引き続き取り組み、1975年の南部完全解放と祖国統一という目標を遂行しました。1973年11月から南ベトナム共和国臨時革命政府の会計士として活躍していたダオ・コン・トゥンさんは当時のことについて次のように語りました。

(テープ) 

「カムロ県に置かれた本部から、南ベトナム共和国臨時革命政府の本部はクアンチ省を訪れた外国の外交団、記者団のほか、毎月、信任状を奉呈するために訪れる各国の大使も迎えました。南ベトナム共和国臨時革命政府の本部が開設された日に、周辺の多くの住民が集まって、だれもが解放されたばかりの土地で、ベトナム共和国臨時革命政府が開設できたことを誇りに思っていました」

南ベトナム共和国臨時革命政府の本部の訪れ - ảnh 2南ベトナム共和国臨時革命政府の幹部や職員が勤務する所

カムロ県に置かれた本部から、南ベトナム共和国臨時革命政府は1973年~1975年までの2年間活動を行いましたが、ベトナムの革命事業、およびベトナムと各国との外交関係の拡大に大きく貢献しました。

特に、1973年、当時のキューバのフィデル・カストロ国家評議会議長はクアンチ省を訪れました。クアンチ省人民委員会の元委員長であるグエン・ミン・キー氏が当時の出来事について、次のように語りました。

(テープ) 

「クアンチ省の住民は南ベトナム共和国臨時革命政府本部がカムロ県に置かれたことを栄誉に思いました。特に、当時、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長がクアンチ省を訪れたことはクアンチ省をはじめ、ベトナム国民に大きな励ましとなりました」

南部完全解放、祖国統一がなされた1975年後、南ベトナム共和国臨時革命政府は自らの任務を終え、民間機関により管理されました。1985年に発生した台風によりこの本部が大きく破壊されたため、2007年、文化情報省はこの本部の復旧を行い、歴史遺跡として再建しました。

国の重要な行事に、政府とクアンチ省はこの歴史遺跡の重要な意義を顕彰する式典を行いました。また、毎年、国内外の多くの観光客はかつてのベトナムの民族解放闘争を理解するため、この遺跡を訪れます。


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