A1 の丘物語

北部山岳地帯ディエンビェン省のA1(エーワン) 丘遺跡は周辺の道路から32メートルの高い所にあり、敷地面積は82000平方メートルあまりです。この丘はディエンビェンフーに駐屯していたフランス植民地主義者の要衝の指揮所から西へ500メートル離れた所にあります。60年前の1954年のディエンビェンフー作戦に、この丘では、フランス軍とベトナム人民軍との熾烈を極めた戦いが行われました。

A1 の丘物語 - ảnh 1

A1丘と東にあるC1 、D2 、E1などの丘はド・カストリーの司令部を含め、フランス軍の陣地の中心部を守る心臓部でした。A1丘からディエンビェンフー市の中心部、カストリーの司令部、ムオンタイン空港、A1野原、共同墓地などが一望できます。この丘はカストリーの司令部を守る鉄の盾とされていました。一方、ベトナム人民軍にとって、A1丘は侵攻が最も難しい陣地となりました。56日間にわたり行われたディエンビェンフーの戦いの中で、ベトナム人民軍はこの丘を占拠するため39日間がかかり、2千人の兵士の命が奪われました。

ディエンビェン市に住む復員軍人ファム・バ・ミエウさん84歳は次のように語りました。

(テープ)

「私の小隊はディエンビェンフー作戦の始めから終わる時まで、このA1丘で闘いました。日夜を問わず、戦闘に参加したのです。少しずつ丘の土地を占拠するため、遠いところからこの丘まで塹壕(ざんごう)を掘りました。この丘は、10メートルごとに、要塞が建てられました」



A1 の丘物語 - ảnh 2



現在、A1丘は昔の戦いの跡がたくさん残されています。ディエンビェンフー博物館のガイドのロ・ティ・シン( Lo Thi Sinh) さんは次のように語りました。

(テープ)

「これはフランス軍がベトナム人民軍に反撃するため使った戦車です。この戦車は1954年4月1日に、ベトナム人民軍の射撃により破壊されました。その傍にあるのはこの戦車を射撃した時に犠牲になったベトナム人民軍兵士のお墓です」

A1丘を占拠するため、ボーグェンザップ将軍の軍隊はを掘り、大量の爆薬を使って、カストリーの指令所を爆破させました。先ほどのロ・ティ・シン( Lo Thi Sinh) さんはさらに次のように語りました。

(テープ)

「25人の兵士がこの塹壕を掘りました。丘の中に塹壕を掘った時、空気がなかったため、後ろにいる人は前にいる人に空気を入れるため、うちわを使いました。15日間で、47メートルの塹壕が完成しました。1954年5月6日の夜20時30分、塹壕の中の1トンの爆薬に点火されました。この爆破により、敵軍の中隊を殲滅させました。これを機に、ベトナム人民軍はA1丘を占拠し、多くの敵軍を殲滅させたのです」


A1 の丘物語 - ảnh 3

昔の爆薬で爆発された所が2004年、遺跡として修復されました。この遺跡の深さは13メートル、幅18メートルです。カストリーの司令部が置かれた地下壕、4千メートルに及ぶ壕、有刺鉄線、フランス軍のすべてが残されており、後世の各世代に昔のディエンビェンフー作戦を物語っています。

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