アウラウの渡し場

北部山岳地帯イェン・バイ( Yen Bai) 省アウラウ( Au Lau) 村にあるアウラウ渡し場は1954年のディン・ビェン・フー作戦の勝利と深くかかわった地名です。

アウラウの渡し場 - ảnh 1



                アウラウ渡し場の記念塔

国道13A 号線上にあるこの渡し場はディンビェンフー戦場への主な物資補給ルートでした。ですから、この渡し場はフランス軍の爆撃の標的となりました。200日間にわたり、この渡し場には爆撃の音が絶えませんでした。戦場へ支給される物資や人民軍の兵士を乗せた多くの舟が爆撃で沈没し、多くの人民軍の兵士の命が奪われましたが、この渡し場を出発するフェリーや舟は絶えることなく運行されました。

当時、この渡し場を通して、ディエン・ビェン・フー戦場へ向かったことがあるボーグェンザップ将軍も、この渡し場でフェリーの舵をとった人々の勇敢さを讃えました。当時、ここでフェリーの船長の一人であるファム・チュン・トゥン ( Pham Trung Ton) さんは次のように語りました。

(テープ)

「毎日午後4時か4時半頃、川の両岸は人でとても込み合いました。フェリーや舟が武器や兵士を乗せて、川を渡りました。しかし、大型砲や武器は主に夜中に運ばれました。夜に、敵軍は特別奇襲隊を派遣したり、やもどり火を撃ってきましたが、怖いと感じませんでした」

アウラウの渡し場 - ảnh 2



アウラウ渡し場を通じて、北部フートー省の民兵は自転車で米をディエン・ビェン・フーの戦場へ運びました。そして、この渡し場から、普通の荷物に見せかけた大型の大砲がディエン・ビェン・フーの戦場へ運ばれました。ディエン・ビェン・フー作戦に参戦したことがあるイェンバイ省に住む87歳のダン・ゴク・チ( Dang Ngoc Chi) さんは次のように語りました。

(テープ)

「渡し場から戦場へ行く道は一日中、敵軍の爆弾を受けました。しかし、アウラウ村の人々が運行する百隻の舟は爆弾にもかかわらず、数多くの人民軍の兵士や幹部を運びました。私たちの連隊の全員が1時間で川を渡りきりました。」

アウラウの渡し場 - ảnh 3



ディエン・ビェン・フー作戦に、イェン・バイ省の住民およそ31600人が民兵として参加しました。つまり、イェンバイ省の住民4人、1人が民兵になったのです。300世帯あるアウラウ村でも、300人がディエン・ビェン・フーの戦場に民兵として志願しました。当時、村に残る人々の大部分は女性と子供、お年寄りでしたが、その中の多くは渡し場に出て、戦場への物資や人民軍の兵士が川を渡れるように、舟を出しました。19524月からディエン・ビェン・フー作戦が終える時まで、30万トンの武器、食品、食料、及び、およそ1万人の幹部や兵士が無事に川を渡りました。イェンバイ省に住む85歳のグェン・ティ・フェ( Nguyen Thi Phe) さんは次のように語りました。

(テープ)

「私たちは数百もの舟がありました。昼の間は舟を隠しておき、夜になると舟を漕ぎ、武器や人民軍の兵士を運びました。危険にもかかわらず、毎日、舟を漕ぎました」

2012年、アウラウ渡し場は国家歴史遺跡に認定されました。穏やかに流れているホン(紅河)川の岸には「アウラウ渡し場」という記念塔が建てられています。このアウラウ渡し場はいつまでもベトナム人民の頑強不屈の精神のシンボルであり、イェンバイ省の誇りとなることでしょう。

 

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