ハノイ防空・空軍博物館

ベトナム戦争が終結してから40年が経ちましたがベトナムの人々は1972年12月のハノイ上空でアメリカの大規模な空爆を忘れることができません。現在、当時の空爆の様子を描いた現物と写真は「ハノイ防空・空軍博物館」に展示されています。今日のこの時間はハノイ防空・空軍博物館を訪れてみましょう。

ハノイ防空・空軍博物館 - ảnh 1

ハノイ防空、空軍博物館の空間に目立つ姿は今から40年前の1972年12月の12日間にわたるハノイの上空戦場を伝える現物や資料、写真などです。1972年12月18日から29日にかけてハノイは、アメリカ軍の大規模な空襲を受けました。一千機もの軍用機が動員され8万トンの爆弾が投下されました。しかし、ベトナム防空部隊はアメリカ軍による攻撃に強く抵抗し、多くのアメリカの戦闘機が撃墜されました。この勝利は「上空ハノイでのデンビェンフー作戦」の勝利と呼ばれています。

ハノイ防空・空軍博物館 - ảnh 2

ハノイ防空・空軍博物館のグェンヒュダク館長は次のように語っています(テープ)

「この博物館で1972年の12日間にわたる上空での激しい戦いを伝える多くの資料、現物、写真が展示されています。この戦いはベトナム民族解放事業の輝かしい歴史となりました。これにより、ベトナムでの和平を承認するパリ協定が調印されました。この博物館には、1966年、1967年、1973年の中部戦場でベトナム防空部隊がB52戦闘機を打ち破る写真が多く展示されています。特に、1967年9月17日にアメリカのB52戦闘機がベトナム防空部隊によって、初めて北部の空で、撃墜されました。また、1972年12月にも、ハノイ上空のB52で撃墜しました。」

グェンヒュダク館長はこのように語りました。

博物館に展示されている多くの写真は、B52がハノイ市内のバクマイ病院、ハノイ駅、住宅地域などに空襲を行った様子を伝えるもので、ハノイの人々の団結精神を表すものでもあります。1954年、ベトナム国民はフランス植民地支配に終止符を打ったデンビェンフー作戦の勝利を獲得しました。1972年12月、ハノイの人々はハノイ上空で同じ名前の作戦で、アメリカ空軍を打ち破りました。ベトナムの声放送局の写真記者であったファンビェットトゥンさんは1972年12月17日の夜に撃墜されたB52の残骸を撮影しました。

ハノイ防空・空軍博物館 - ảnh 3

トゥン記者は次のように語っています(テープ)

「当時、戦争は激しく自分が生きるか死ぬかすらもわからない。私は周辺は砲弾の破片が雨のように落ちてきました。戦争中の記者たちはとても危険な環境で仕事をしていました。ジャーナリストの数も少なかったので報道界を守るため、各地に分散していました。怖くはなかったですが、慎重でなければならなかったです」

トゥン記者の話でした。

博物館に展示されている現物や資料や写真は、ベトナム国民の知恵やベトナム共産党の傑出した指導力を示すものです。先ほどのグェンヒュダク館長は次のように語っています(テープ)

「この博物館には貴重な現物が保管されており、中でもB52を撃墜させたMIG21型戦闘機、口径100mmの高射砲などがあります。この12日間のB52の動きを監察できるラダーを通じて、ハノイ市の司令部はB52がハノイ上空でを行なう前に、緊急通報を出しました。その後、ベトナム防空部隊はアメリカ空軍による空爆を打ち破りました。」

グェンヒュダク館長は次のように語りました。

ハノイ防空・空軍博物館 - ảnh 4

1972年12月の12日間にわたるハノイ上空での戦いは戦争中の忘れがたい歴史的な節目となり、ベトナム人の各世代の屈しない精神を表れでもあります。ハノイ防空・空軍博物館を訪れた社会人文大学の学生チャンズアインさんは次のように語りました(テープ)

「今日、この博物館を訪れ、1972年12月のハノイ上空での戦いの様子を知りました。1972年のベトナム軍事の力や全国民の団結を実感しました。ベトナムの兵士たちの微笑む多くの写真も見ることができました」

1972年12月の「ハノイ上空でのデンビェンフー作戦」の勝利は過去のものになりましたが、現在の世代がこの博物館に足を運ぶことで、ベトナム民族の輝かしい歴史ページを振り返ることが出来るでしょう。

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