B52戦闘機が墜落したゴクハー村

1972年12月の終わりに、アメリカ空軍はハノイ市に大規模な空襲を行い、花作りで有名なゴクハ村もその空襲による被害を受けました。当時、アメリカの超大型戦略爆撃機B52がハノイの空軍部隊によって撃墜され、ゴクハー村の湖に墜落しました。あれから40年間が経ちましたが、当時のアメリカ軍の激しい空襲についての記憶はこの村の人々の胸の中に深く刻まれています。\

B52戦闘機が墜落したゴクハー村 - ảnh 1

1972年12月、ゴクハー村は静かな空気が流れていましたが、突然、アメリカ空軍の目撃地の一つとなりました。花を愛する村の人々は兵士になりました。1972年12月27日午前、アメリカのB52戦闘機がゴクハー村のヒュテップ湖に墜落しました。民兵のファムティクィー元副隊長は当時の思い出を振り返ります

(テープ)

「当時に戦闘機が墜落すると同時に、村の幾人かが亡なりました。敵軍の戦闘機が墜落したという情報を聞き、とても喜びました。防空壕から出た後、およその100の不発弾爆弾が見えました。そして、技術に携わる工兵隊が我が村に来て、不発弾を処理しました。村人の戦闘精神を奨励するため、当時の軍事最高指導者であるボー・グェン・ザップ大将も村を訪れました。私は当時の記憶が忘れられません。」

ファム・ティ・クィーさんの話でした。

B52戦闘機が墜落したゴクハー村 - ảnh 2

ゴクハー村の誰もがアメリカのB52戦闘機が自分たちの故郷に墜落したことを見にした時、誇りに思っています。1972年12月27日の夜中、この村のすべての人々は当時のアメリカの近代的な戦闘機が墜落した様子を見て、眠れないほど喜びに沸きました。ゴクハー村に住むアンビェットミーさんは次のように語りました。

(テープ)

「目撃したアメリカ戦闘機は空を真っ赤に染またタイマツのようになって、湖に墜落しました。湖の水は溢れて、たくさんの魚が死にました。そうした様子を見に行く村の多くの人々が次々と、防空壕から出てきました。その日の夜は村の誰もがは寝れなかったです。」

アンビェットミーさんの話でした。

ゴクハー村の老人であるグェンチョンヒェンさんは1960年代に、ベトナムとカンボジアの戦場に参戦していました。特に、ヒェンさんは故郷を防衛するため、奥さんと一緒に 1972年12月の ハノイ上空ディンビェンフー作戦に参加しました。ヒェンさんは次のように語りました。

(テープ)

「当時、私たちは祖国の命を守るため、戦うという決心を表したいと思いました。特にハノイの人々は故郷に戻って、生まれ育った土地で戦うことが極めて名誉なことでした。当時、襲撃はとても激しかったので、私の妻と子供は村から1キロ離れた安全な所に避難しました。時々、家族を尋ねました。妻も地雷や爆弾の除去作業に参加しました。」

ヒェンさんの話でした。

現在、ゴクハー村の湖の辺には小学校や花園や子供向けの遊び場があります。ゴクハー小学校の4年生、ドファムチョザン君は祖母から1972年12月の ハノイ上空ディンビェンフー作戦の勝利についての話を聞いてました。ザン君は次のように語りました。

【テープ】

「毎週、私たちはこの湖の畔に行って掃除をします。外国観光客と会えば、この湖に墜落したアメリカ軍のB52戦闘機についてのエピソードを語ります。」

B52戦闘機が墜落したゴクハー村 - ảnh 3
当時、ベトナムの有名な詩人トーヒューはゴクハー村についての詩をつくり、その中に「ゴクハーよ、華やかな花に溢れる村、花の香りが北部から南部にいたるまで漂う」と書いています。その詩を通じて、ゴクハー村は花の世界であるだけでなく、アメリカ軍のB52戦闘機を打ち破った地としてよく知られています。ゴクハー村上空ディンビェンフー作戦の勝利についての記憶は今後もベトナムの人々の心の中に刻まれていくことでしょう。

ご感想

他の情報