伝説のファディン峠が刻む歴史の軌跡

(VOVWORLD) - 1954年のディエンビエンフー作戦の時、伝説のファディン峠には、前線への物資補給路をめぐり、幹部、兵士、民間人労働者、青年突撃隊員の足跡が刻まれています。勝利から70年が経った今も、かつてこの峠の麓に住んでいた人々の心に、その輝かしい時代の物語が生き続けています。平和となった現在、彼らは新たな業績を重ね、輝かしい歴史の次のページを書き記しています。
伝説のファディン峠が刻む歴史の軌跡 - ảnh 1ファディン峠

ディエンビエンフー作戦は、1954年3月13日から5月7日まで、この小さな町でフランス植民地軍とベトナム人民軍の激しい戦いが展開されました。ベトナム軍の勝利により、フランスはベトナムから撤退を余儀なくされました。

この作戦は、旧植民地国の軍隊が近代的な強国の軍隊に初めて武力で勝利を収めたという点で、国際的にも極めて重要な意味を持っていました。従来は武力ではなく、政治・外交的手段しかなかったですが、ディエンビエンフーの勝利は世界中の民族解放運動、特に植民地支配下の国々に大きな励みとなり、植民地解放の決定的転機となりました。

ハノイから西北約450kmと遠距離にあるディエンビエンフーへの兵站確保が、この作戦の勝敗を決する要因でした。ソンラ省とディエンビエン省間のファディン峠は、作戦の入り口にあたり、フランス軍の爆撃目標ともなりました。「爆弾の袋」と呼ばれるほどの爆撃を受け、数千人の死傷者が出ました。

ソンラ省に暮らす95歳のクアン・バン・コーさんは、勝利の知らせを受けた瞬間を今も鮮明に覚えています。

(テープ)

「中隊長が、ディエンビエンフーを解放したと知らせてくれました。フランス軍のデカストリー将軍が降伏したと告げたのです。そうしたら私たちは歓声を上げ、拍手して大喜びし、涙が溢れました」

伝説のファディン峠が刻む歴史の軌跡 - ảnh 2当時の補給路の様子を振り返っているコーさん

そして、コーさんは当時のファディン峠にある補給路の様子や爆撃の記憶について次のように振り返りました。

(テープ)

「夕方5、6時頃から爆弾で開けた穴を埋め始めました。村人たちと一緒に森に入り、木を伐採しました。役割を分担して、土や石を運ぶ人、木を運ぶ人といった具合です。夜間に作業せざるを得ませんでした。昼間は敵機の標的になるからです。敵機が去った後、急いで作業を行いました。夜を徹して穴を埋め終えると、もう夜は明けていました。そうしたら朝食の時間でした」

トゥアンチャウ県ムオンエー村の人民委員会委員長ロ・バン・ホアンさんによれば、ディエンビエンフー作戦中、この村から約30人の兵士と青年突撃隊員、そして数百人の民間人労働者が動員されたそうです。ホアンさんの話です。

(テープ)

「先人たちの伝統は、革命の精神を後世に伝える大きな価値があります。今日の平和は、先人たちの努力のおかげなのです。私たちは毎年、当時のことを語り継ぎ、ファディン峠の歴史的価値と、ディエンビエンフーの勝利の意義を後世に伝えています」

伝説のファディン峠が刻む歴史の軌跡 - ảnh 3先人の伝統を子供に伝えているお年寄り

2020年、ファディン峠は国の文化遺産に認定されました。険しい峠の道は、かつて民族の英雄的な歴史を刻んできましたが、今では、ディエンビエン省とソンラ省、デルタ地帯を結ぶ生命線としての役割を果たしています。

現在、ソンラ省トゥアンチャウ県のファディン峠歴史文化遺跡では、戦没者を祀る慰霊施設の建設が進んでおり、ディエンビエンフー作戦勝利70周年を記念して竣工を目指しています。総面積1万5300平方メートルの施設に、祠堂、慰霊塔、その他の付属施設が含まれる予定です。トゥアンチャウ県党委員会のグエン・ダク・ルク委員長は次のように語っています。 

(テープ)

「この施設は、ファディン峠遺跡の特別な歴史的価値を称えるためのものです。完成後、ここはファディン峠遺跡の重要な観光スポットとなり、住民や観光客の聖地となるでしょう。ソンラ省の観光振興に寄与し、それによってこの県の経済社会が飛躍的に発展することが期待されます」

ディエンビエンフー作戦から70年が経った今、ファディン峠は、あの歴史的勝利を生み出した決戦の精神を体現する証人となっています。先人の伝統に続き、この地の人々は経済社会発展の目標に向けて努力を重ね、より良い生活の実現を目指しているのです。

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