国家統一のための戦いに貢献した南北横断の石油パイプライン

(VOVWORLD) - かつてのアメリカとの戦いで、チュオンソン道路、別名:ホーチミン・ルートは、北部後方から南部前線へ兵力・食料・軍需物資を輸送する“国家の大動脈”として活躍しました。
この壮大な輸送ネットワークの中で、1700キロメートルの南北横断の石油パイプラインは、やがてその総延長を約5000キロメートルまで広げ、クアンニン省やランソン省からビンフオック省に至るまで全国を貫きました。チュオンソン石油パイプラインは、戦略的な意義を持つ国家プロジェクトであるだけでなく、戦争の最中におけるベトナム人民軍と国民の鉄の意志、創意工夫、そして静かな犠牲のシンボルでもあります。   
国家統一のための戦いに貢献した南北横断の石油パイプライン - ảnh 11972年に南北横断の石油パイプラインの設置に参加した女性兵士(資料写真)

このパイプラインは、1968年4月、「水利建設工事01」というコードネームで建設が始まりました。当時、南部で実施された1968年テト攻勢に伴い、戦前への燃料の輸送が緊急課題となってきました。しかし、燃料の輸送が滞っていたため、兵士や生活必需品・食料を南部戦線へ届ける作戦は難航しました。これにより、燃料供給体制の構築は急務となったのです。当時このパイプラインの設計・建設を担当した国防省経済局のホー・シー・ハウ元局長は、次のように振り返りました。

(テープ)

「私たちはあらゆる方法を試しました。ビニールシートを背嚢の中に敷き、そこにガソリンを入れて背負って運びました。しかし、鉛入りガソリンはビニールをすぐに溶かしてしまい、数時間でビニールが破れてしまいました。効率が非常に低く、危険すぎるため、この方法は断念せざるを得ませんでした。その後、小型ドラム缶を使い、敵の激しい攻撃に晒された重要区間を担いで運搬しましたが、多くの困難がありました。最終的に私たちはトタン板を溶接してパイプを作り、ゴムホース、テント用の支柱、竹筒などを自動車のタイヤチューブでつなぎ合わせるという、世界でも類を見ない特別な方法でパイプラインを構築しました。しかし、それでもガソリンによる損傷は避けられませんでした」

この状況を打開するきっかけとなったのが、故・ボー・グエン・ザップ将軍の提案でした。ザップ将軍は、旧ソ連から支援された2セットの野戦用燃料パイプラインの活用を示唆し、これが軍の最高指導部である中央軍事委員会によって正式に採用されました。当時、第559部隊・燃料パイプライン局のグエン・バン・タオ副部長は燃料パイプラインの建設を担当していた日々を今も鮮明に覚えていると語っています。

(テープ)

「私たちがパイプでガソリンの搬送準備をしていた矢先、敵軍に発見されました。1968年12月末のある夜、クアンビン省ムー・ザ峠にB52爆撃機の爆弾が雨のように降り注ぎ、パイプラインは真っ二つに切断されました。その後も連日にわたり、B52爆撃機や攻撃機による爆撃がこのムー・ザ峠に集中して投下しました。岩肌は爆撃のたびに何層も剥がれ、ついには粉々になるほどでした。そのような中でも、工兵部隊は何度もパイプラインの再接続に挑みましたが、爆撃によって破壊されてしまいました」

国家統一のための戦いに貢献した南北横断の石油パイプライン - ảnh 2国防省経済局のホー・シー・ハウ元局長

当時のチュオンソン石油パイプラインは、単なる燃料輸送手段にとどまらず、ベトナム人民軍の工兵部隊と、当時の最先端兵器を有する敵軍との間で繰り広げられた、熾烈な知恵比べの戦場でもありました。先ほどの国防省経済局のホー・シー・ハウ元局長は次のように語りました。

(テープ)

「敵軍は地形の低い場所を見つけて爆撃してきました。だからこそ私たちは、敵が決して予想しない“最も高い場所”にパイプラインを通すという、大胆な決断を下しました。
この戦略は、教科書には載っていないような計算式を現地の地形に合わせて応用しました。そして最終的に、標高911メートルの山頂までパイプラインを引き上げることに成功しました。1969年12月22日、ガソリンは東チュオンソン山脈の麓から50キロを超えて、西チュオンソン山脈にあるラオスへと到達しました」

そして1975年3月、東西チュオンソンルートを貫く燃料パイプラインシステムが完成しました。316基の圧送ポンプステーション、101の貯蔵施設が整備されました。このパイプライン網は、北部山岳地帯にあるランソン省、クアンイン省のモンカイ町からハノイを経由し、クアンビン省、さらに南部ビンフオック省を結ぶ全長5000kmにも及ぶ国家的プロジェクトでした。敵軍の破壊活動にも屈せず、1968年から1975年の7年間にわたり、このパイプラインは、南部戦線への550万立方メートルの燃料を支援し、1975年春のホーチミン作戦の成功に大きく貢献しました。

第559部隊の司令官を務めたドン・シ・グエン中将はかつて「チュオンソン道が伝説だとすれば、燃料パイプラインはその“伝説の中の伝説”である」と言明しました。一方、アメリカ空軍のハリー・アダーホルト将軍およびリチャード・サード将軍も「ベトナムの燃料パイプラインは、現実に存在した“伝説”だ」と述べました。

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