戦争中におけるベトナム人民軍総参謀部の暗号通信壕の探検

(VOVWORLD) -世界文化遺産・タンロン皇城の地下深くに眠っていた、かつての軍事機密施設であるベトナム人民軍総参謀部の暗号通信壕が、今回初めて一般に公開されました。
世界文化遺産・タンロン皇城の地下深くに眠っていた、かつての軍事機密施設であるベトナム人民軍総参謀部の暗号通信壕が、今回初めて一般に公開されました。この壕は、戦争中、全土の部隊や戦線への作戦指令・情報の暗号通信を担い、軍の指揮を維持するうえで極めて重要な役割を果たしてきました。

現地ガイドを務めるグエン・カイン・バンさんは次のように述べました。

(テープ)

「ベトナム人民軍総参謀部の暗号通信壕は、1966年に建設されました。この暗号通信壕の面積はおよそ37平方メートルで、地下4〜5メートルの深さにあり、構造は3つの部屋から成り立っています。2つは作戦・通信作業用、1つは機器設置室です。この壕は、核爆発による衝撃波、放射線、有毒ガスにも耐えられるよう設計されていました。最大で同時に10~15人が作業できる体制が整えられていました」

戦争中におけるベトナム人民軍総参謀部の暗号通信壕の探検 - ảnh 1この数日、ハノイのタンロン皇城遺跡内にある暗号通信壕の門前は、国旗の赤が鮮やかに彩る(写真:Kim Liễu/VOV5)

戦争中、この壕では、総参謀部の関係機関が作戦を立案し、数多くの歴史的な決定を下し、1975年の南部解放・祖国統一という勝利に貢献しました。戦時中、党中央委員会から各戦線、兵科、部隊への暗号電報、命令書、報告書がここで処理され、戦場と指令本部を結ぶ情報の流れを維持したのです。特に1972年12月にアメリカ軍によるハノイや北部港湾都市ハイフォンへの激しい爆撃の際に、この壕は最も多く使用されました。

ホーチミン国家政治学院所属 党史研究所のグエン・マイン・ハー准教授元所長は次のように述べました。

(テープ)

「総参謀部の中で最も重要な部門の一つが暗号通信部門でした。戦争中、ここから何万通もの電報が受発信され、戦場への指揮が正確かつ安全に、そして迅速に行われたのです。空爆の際にも、通信兵たちは地下で24時間体制で働き、ハノイと各戦線の連絡を確実に保っていました。これが国の勝利に大きく貢献しました」

戦争中におけるベトナム人民軍総参謀部の暗号通信壕の探検 - ảnh 2暗号通信壕の入口(写真:Kim Liễu/VOV5)

当時、通信暗号兵として勤務したダン・ティ・ムオンさんは次のように述べました。

(テープ)

「作戦中、レ・ズアンおじさんやファム・フンおじさん、レ・ドゥク・トおじさんなどの指導者からの電報や、南部からの指令、北部からの応答が絶え間なく届きました。1分1秒を争うような緊急電報も多く、全員が文字通り昼夜を問わず、黙々と作業に集中していました」

現在、暗号通信壕遺跡の内部は当時の姿をほぼ忠実に再現しており、貴重な展示資料も公開されています。展示スペースには、ドキュメンタリー映像、説明パネル、ナレーション付き音響装置も設置され、来場者に戦時下のリアルな空気を伝えています。

ベトナム文化遺産協会のレ・ティ・ミン・リー副会長は次のように述べました。

(テープ)

「戦時中、国家機密保持のために多くのことが記録されませんでした。たとえばこの壕の建設自体が国家機密でした。だからこそ展示の再現には非常に繊細で科学的なアプローチが必要でした。パネルを通じて、誰もが理解できる形で歴史的な情報を正確に伝えることを目指しました」

戦争中におけるベトナム人民軍総参謀部の暗号通信壕の探検 - ảnh 3C58封印印章、最緊急印章、特急印章などの貴重な資料が展示されている場所(写真:Kim Liễu/VOV5)

この展示は、多くの若者にも強い印象を与えています。オープン初日の8月19日から、この暗号通信壕の遺跡はハノイ市内の新たな歴史的観光スポットとして、多くの来館者を迎えています。 ハノイ・スター・スクールの先生と生徒たちの感想をお聞きください。

(テープ)

「壕の中に足を踏み入れた瞬間、祖国を想う熱い気持ち、そして厳粛な雰囲気を全員が感じ取りました」

「思っていたよりもずっと広くて驚きました。とても楽しく、心が躍りました」

このようにして、暗号通信壕の遺跡はタンロン皇城の世界文化遺産としての価値を一層高める存在となりました。

ご感想

他の情報