ドゥ・コン・トウン夫妻を祀る神社

(VOVWORLD) -史書によりますと、ベトナムの最後の王朝グェン朝のザーロン王(1762年~1820年)時代に、ドゥ・コン・トウン夫妻は中部ホイアンからドンタップ省カオラン市ミーチャ村に移住し、荒地を開墾し、蜜柑の木を栽培しました。

ドンタップ省カオライン県にあるドゥ・コン・トウン夫妻を祀る神社は地元の人々にとって深い意義を持っています。2019年7月8日、ベトナム文化スポーツ観光省はこの神社とドゥ・コン・トウン夫妻のお墓を国家レベルの遺跡として認定しました。

ドゥ・コン・トウン夫妻を祀る神社 - ảnh 1

史書によりますと、ベトナムの最後の王朝グェン朝のザーロン王(1762年~1820年)時代に、ドゥ・コン・トウン夫妻は中部ホイアンからドンタップ省カオラン市ミーチャ村に移住し、荒地を開墾し、蜜柑の木を栽培しました。ドゥ・コン・トウン夫妻の蜜柑畑が陸路や水路に便利であるから、地元の人々はここに集まって、物を買ったり、売ったりしたため、徐々に市場になりました。現在、これはカオライン市の市場になりました。地元の人々は「ドゥ・コン・トウン氏が率直な人で多くの物事に精通したと見て、ドゥ・コン・トウン氏を村にある衝突や紛争を解決・調整する役割を担当する役職ポストである「カオ・ドゥン」( Cau Duong) に選出されました。カオライン市に住むレ・バン・ナン( Le Van Nang) さんは次のように語りました。

(テープ)

「1820年に、地元の多くの人々がコレラで亡くなりました。これを前に、ドゥ・コン・トウン夫妻は神様に対し、地元の人々の代わりに亡くなることを祈願するため、祭壇を用意しました。祈願したあと、ドゥ・コン・トウン夫妻は亡くなりましたが、地元で流行していたコレラは終結しました。

その他、ドゥ・コン・トウン夫妻は現在のカオライン市場を建てるにあたり大きな貢献をしました。今年、カオライン市はドゥ・コン・トウン夫妻の199周忌を偲びました」

ドゥ・コン・トウン夫妻を祀る神社 - ảnh 2

ドゥ・コン・トウン夫妻を祀る施設には神社、お墓、接客所があり、ベトナムの最後の王朝であるグェン王の建築様式によって、見事な彫刻がされています。

その中にある神社は南部でよく見られる神社の建築様式になっています。三関門をくぐると、広い庭に出ます。この神社の管理委員会のメンバーのリ・バン・テオ( Ly Van Teo) さんは次のように語りました。

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「神社には3つのスペースがあり、前の部分には4人の神様が、真ん中にはこの地の神が、最後はドゥ・コン・トウン夫妻を祀っています。ドゥ・コン・トウン夫妻の命日は旧暦6月8日から10日まで行われます。これはドゥ・コン・トウン夫妻を祀る神社の祭りでもあります。この機に、ホーチミン市、ビンズオン省、ブンタウ省など南部各地の多くの人々が参加します」

ドゥ・コン・トウン夫妻を祀る祭りはカオライン市の人々の精神生活における重要な行事となってきました。カオライン市の市民フアン・ゴック・ホ( Phan Ngoc Ho) さんは次のように語りました。

(テープ)

「カオライン市に足を運ぶ観光客はセオクイット観光地、ガオゾン観光地の他、ドゥ・コン・トウン夫妻を祀る神社を訪れます。この神社は国の遺跡として認定されたので有名です」

ドゥ・コン・トウン夫妻を祀る神社はカオライン市の中心地なので、行くのは便利です。これはドンタップ省の有名な見所の一つです。チャンスがありましたら、ぜひ行ってみて下さい。

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