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ホーチミン市タンフー区にあるテェンアン施設は、この20年間にわたって、困難な状況にある視覚障害者の寄り合いの場として存在しています。この施設の創業者はグェン・コック・フォンさんです。
1991年に、フォンさんは事故に巻き込まれ、目が見えなくなりました。視覚障害者になったのは30歳の時でした。当初、フォンさんはリハビリをしながら、独自で点字を勉強することにしました。数年後、点字が上手になり、視覚障害者の生活に馴染めるようになり、フランス留学を志しの奨学金を受給しました。1998年、彼はフランス留学を終え、帰国すると、点字本と盲人安全杖の製造を身に着け、恵まれない視覚障害児を擁護するテェン・アン施設を設立しました。
これまでに、施設では30人の視覚障害児の世話をしています。子供たちは施設で、点字や自立した生活などを勉強する傍ら、点字本と盲人安全杖の作り方を教わります。テェン・アン施設に入所して、5年間になるグェン・ミン・ハイさんは、まもなく中学教育を終了する他、パソコン操作や、マッサージの技術、点字本の印刷などが上手く出来るようになりました。ハイさんの話です。
(テープ)
「長年にわたり、テェン・アン施設に入って、教育と擁護を受けているので、フォンさんは父のような感じです。この施設で、色々役に立つことを覚えたよ。」
テェン・アン施設はこの4年余りでボン・ミン・ニさんにとって着実な寄り合いの場となっています。ニさんの話です。
(テープ)
「テェン・アン施設に入所してから、学習を受けたり、同じ境遇の仲間と交流し合ったりして、とても嬉しく思います。文化教育の傍ら、パソコン、英語、音楽の勉強、リハビリなどを楽しんでいますよ。」
フォンさんは常にテェン・アン施設に入所中の視覚障害児に対し次のように教えています。
(テープ)
「私は、子どもたちに『目が見えないからと言って、自らのチャンスを逃してはいけない。自分は健常者と同じように平等に暮らし、仕事を成功させることも出来るから。自分が出来ないとは思わないで、私は出来るんだと思ってください。しかし、その方法は何に?困難に負けないように』と言っています。」
テェン・アン施設で成長した多くの若い人は、フォンさんの温かい心を尊敬して、大学卒業後、テェン・アン施設に戻って、後輩の教育を担当しています。グェン・ティ・キエウ・オアンさんは、ホーチミン市人文社会科学大学・英語科を卒業した後、テェン・アン施設で英語を教えています。この施設に戻り仕事をする理由についてオアンさんは次のように明らかにしました。
(テープ)
「まず、英語を教えることは私が好きな職業です。次は、この場所で、友だちと一緒に暮らし、特に先生から色々なことを教わったお陰で、私は成長したのです。この施設で、後輩たちに自分の見識を伝えたり、自分の好きな職業をしたいからです。」
テェン・アン施設に入所する視覚障害者は生活の質を向上させると共に、自信を持って社会復帰できるようになっています。こうした施設がさらに拡大されるよう期待したいものです。