
2011年初頭 から中東・北アフリカ地域の各国で「アラブの春」と呼ばれた一連の民主化運動が本格化しました。この大変動によって,チュニジアやエジプト,リビアでは政権が交代し,その他の国でも政府が民主化デモ側の要求を受け入れることになりました。ただ、この運動は期待通りの成果を収めておらず、政治的不安や経済的格差につながったとみられます。
「アラブの春」の発端となったのは,2010年12月17日,チュニジアの一人の失業中の青年が,路上販売に対する当局の取り締まりに抗議して焼身自殺を図った事件でした。その直後から各地で起きた大規模デモを全国規模で政権打倒の民主化デモが拡大しました。そして1か月も経たない 2011年1月14日にベン・アリ大統領は国外逃亡を余儀なくされ,23年間続いた独裁政権が実にあっけなく崩壊しました。チュニジアでは同年10月,制憲国民議会選挙が実施され,イスラム主義政党エンナハダが第一党となりました。また同年12月に大統領と首相が選出され,民主化への移行を施政方針とする新政権がスタートしています。しかし、政権交代後も、失業率が増加し、汚職が蔓延し、不安な情勢が続いています。

チュニジアの民主化デモは国境を越えて各国に波及しました。エジプトでは,2011年1月25日以降,国内で反体制デモが発生し、首都カイロをはじめ,全国各地でデモに参加する市民の数が増え続け,同年2月11日,ムバラク大統領が国軍最高会議に権限を委譲し,30年に及ぶ長期政権が崩壊し、暫定的な軍政がスタートしました。2011年11月、人民議会選挙、また2012年5月に大統領選挙が実施されましたが、その後も最近に至るまでデモ隊と軍の衝突が続いており、憲法改正を巡る対立が深まっています。これにより、エジプトの外貨準備高が半減し、失業率が増え、予算赤字はおよそ275億ドル増となっています。

一方、2011 年2月以降,リビア国内では反体制派とカダフィ政権との激しい戦闘が継続し,多くの犠牲者が発生しました。国際社会は,カダフィ政権の自国民に対する武力行使を強く非難し,さらに国連安保理決議によってイギリス、アメリカ、フランスを中心とした多国籍軍による軍事行動を開始するに至りました。その結果,8月には反体制派が首都トリポリを制圧し,42年に及ぶカダフィ政権が崩壊しました。10月にはカダフィ元指導者の死亡を受け,反体制派がリビア全土の解放を宣言し,移行政府の首相が選出されました。ただ、混乱が続き、2012年9月11日、ベンガジのアメリカ総領事館攻撃が発生し、大使が死亡したことはその一例となっています。
こうした中、IMF=国際通貨基金は見通しが悪化し、金融の安定リスクが上昇したとして、今年の世界経済の成長見通しを大幅に下方修正しました。 2012年~2013年の中東および北アフリカの経済成長は、予想以上に長引く政治的移行プロセスとマイナスの外部環境により鈍いものになるとしています。