(VOVWORLD) - 40年前の1979年、ベトナム志願兵の支援により、カンボジア国民はポルポト派の民族皆殺しの惨禍から脱出しましたが、40年後の今日も、「仏の部隊」と呼ばれるベトナム志願兵の素晴らしいイメージはそのままカンボジア国民の記憶に残っています。
ベトナム志願兵の恩は永遠に忘れない
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昨年末、VOV5の記者はカンボジアのトゥール・スレー虐殺博物館で、カンボジア人のノーン・チャン・ファルさんと会いました。トゥール・スレン虐殺博物館はポルポト政権が設けた政治犯収容所であり、そして、ノーン・チャン・ファルさんはベトナム志願兵が1979年1月7日にその収容所から救出した4人の生存者の中の1人です。ノーン・チャン・ファルさんの話です。
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「ベトナム志願兵は私たちを救いました。そのとき、私たちの体は虫刺され状態でした。また、数日も何も食べなかった。ベトナム志願兵はご飯を食べさせてくれましたよ。」
このように話したノーン・チャン・ファルさんは、ベトナム志願兵に抱かれている4人の子どもの写真を指さしながら、「ベトナム志願兵は私を再生してくれた。ベトナム志願兵が来なければと、私を含むこの4人の子供は死んでいた」と語りました。
(テープ)
「孤児院にいたとき、ベトナム志願兵の世話を受けました。また、よく教えてくれました。1980年、ベトナム志願兵が帰国しましたので、彼らに関する情報が全くありませんが、また会いたいと思っています。」
1975年から1978年まで、ポルポト派はおよそ200万人のカンボジア人を殺害しました。その死者は1975年におけるカンボジア総人口の25%に相当しています。そして、カンボジア国民をその惨禍から救出したベトナム志願兵は「仏の部隊」と呼ばれました。カンボジアの遺跡「キリング・フィールド(チューン・エック)」の責任者チョー・ソク・ティさんは次のように話しています。
(テープ)
「私たちをポルポト派の大虐殺から救出したベトナム志願兵に感謝いたします。ベトナム志願兵の恩は永遠に忘れません。」
一方、プノンペン市民のボン・サ・コンさんにとってベトナム志願兵は英雄であり、カンボジア人の友人でもあります。
(テープ)
「ベトナム志願兵と会えて、とても嬉しいです。彼らはいい人ですね。私たちを解放したベトナム志願兵に感謝いたします。そして、ベトナムとカンボジアとの関係が益々発展していくよう祈願しています。」
カンボジア国民を解放するために、数万人のベトナム志願兵は身を呈しました。しかし、その犠牲は有意義なものといえます。これにより、カンボジアは回生し、そして、ますます発展しています。