山崎 こんにちは、山崎千佳子です。
ソン こんにちは、ソンです。先週のハノイ便りは、ハノイの旧市街についてお伝えしましたね。
山崎 私も旧市街のことがいろいろわかって、興味深かったです。1010年にハノイが当時のベトナムの都になって、ベトナム全土にある伝統工芸村の優れた職人たちが集まって来たんですよね。
ソン はい。そして、現在、ハノイ旧市街と呼ばれている当時の都の中心部をその職人たちが作ったと言えます。今日はそのハノイ旧市街の中の一つの通り、ハンバックをご紹介します。
ハンバック通り
山崎 ハンバックは銀通りという意味でしたね。これも先週のおさらいになりますが、旧市街の通りはハンで始まるところが多いんですね。ハンは製品や店舗という意味でした。ハンに続く言葉で何屋さんかわかるんですね。
ソン そうです。ハノイ旧市街には、通りごとに同業者の組合があって、同じ商品を扱っていました。その通りが36あったので、ハノイ旧市街はハノイ36通りとも呼ばれています。
山崎 銀通りのハンバックでは、銀細工が作られていました。
ソン はい。ハノイ旧市街で、今はその通りの名前と同じ物を売っていないところがたくさんありますが、ハンバックは例外なんです。
山崎 今も銀を扱っているんですよね。
ソン そうなんです。長さおよそ500メートルのハンバック通りは、貴金属街です。金や銀を扱っている店がたくさん並んでいます。ハンバックは旧市街で最も古い通りの一つで、この通りを訪れると、昔にさかのぼった感じがするとよく言われています。
ハンバック通りの店で展示された商品
山崎 ハンバックまだ行ったことがないので、今度歩いてみます。ここで、この通りに生まれて育ったという住民(ファム・フウ・ズンさん)の話です。ハンバックの成り立ちについて話してくれました。
(テープ)
「15、16世紀ごろ、現在のハイズオン省チャウケ村出身の役人が、王様から銀貨の鋳造を任されました。その役人は、銀細工で知られていた故郷のチャウケ村の職人のほか、タイビン省のドンサム村、ハノイ郊外のディンコン村の職人たちを集めました。これがハンバックの始まりです。職人たちの本業は銀貨の鋳造でしたが、その後、金や銀の装飾品なども作り始めました。」
山崎 旧市街の中に神社をよく見かけます。ハンバックには3ヶ所あるそうですね。
ソン はい。これも先週お伝えしましたが、旧市街にある神社はそれぞれの職業を始めた人を祀っているんです。ハンバックでは、キムガンという神社が一番大きくて古いものです。
山崎 キムガン。
ソン はい。これは金銀という意味です。キムガン神社は、ハンバックを作ったチャウケ村出身の職人たちに建てられました。職業の創始者を祀るほかに、昔は銀の原料や商品を保管する場所として使われていました。
山崎 単なるお参りの場でなくて、実用性もあったんですね。
ソン そうです。今でも、旧暦の1日と15日には参拝する多くの人で賑わいますし、2009年には新しく建て直されて、様々なベトナムの文化を紹介する場としても活用されています。
キムガン神社
山崎 どんなことに使われているんですか?
ソン 伝統工芸品の展示会や伝統芸能のパフォーマンスが行われたりします。
山崎 イベント会場にもなっているんですね。今のハノイ旧市街では、その名前通りの物を売っていないところも多い中で、ハンバックではたくさんの人が代々受け継がれている仕事に携わっています。
ソン はい。現在は、近代的な機械を使って金や銀の加工をしている店が多いんですが、昔のままに、全ての工程を人の手でやっている店もあるんですよ。
山崎 それはすごいですね。その技は、親から子へ伝えられてきたんでしょうか?
ソン そうです。その店のオーナー、グエン・チー・タインさんは、小さい頃からお父さんに金属を彫る彫金の技術を教えられてきたそうです。「教科書などはなく、全ては親から学んだ。金銀の加工は、それほど難しくはない。」というんですね。
山崎 その言葉は、これまでの経験と今までに培ってきた技によるものですね。
グエン・チー・タインさん
ソン そうですね。タインさんの腕はハンバックでも評判で、顧客が多いそうです。長い間、金属加工の仕事をしてきたタインさんですが、今でも、製品がきれいに仕上がった時の喜びはひとしおだということです。
山崎 タインさんのお子さん、息子さんもお父さんの仕事を継ぐ予定で、今はアシスタントとして働いているそうです。タインさんの話です。
(テープ)
「彫金はうちで代々受け継がれてきた伝統的職業です。この貴重な仕事は、次の世代へ必ず伝えなければならないと思っています。それには、まずこの仕事を好きになることです。伝統工芸の価値をよくわかっていない人もいますが、守っていくに値する仕事です。ハンバックには数百の店がありますが、全く同じ製品がたくさんあります。機械で作られた物だからです。私は全部手でやっていて大変ですが、それがうちの強みなんです。それでやっていけるんです。」
山崎 自分の信念を貫いて、一本筋の通った生き方をしているタインさんですね。
ソン そうですね。ハンバックの人たちは、この伝統的な職業のほか、昔のままの生活様式の保存に取り組んでいます。
職人たちの器具
山崎 もともと同じ村出身という人が多くて、そのつながりが今も強いようですね。困った時にはみんなで助け合って暮らしているんですよね。
ソン はい。生活面でもそうですし、神社の改修などにもみんなで力を合わせているんです。現代社会の中で少し変わった点があっても、多くの人たちが昔のままの生活スタイルで日々を過ごしています。ハンバックで生まれ育った80歳の女性(ホアン・ティ・クエさん)の話です。
(テープ)
「代々この通りに住んでいます。今も、生活はあまり変わっていません。家族間のつながりと近所との関係はしっかりしています。みんな親しくさせてもらってます。ご先祖様も大事です。うちは狭いですが、ご先祖様を祀る祭壇は一部屋をそれ専用の部屋にしているんです。」
ソン 時代の流れというのもあって、ハンバック通りにも、道の由来と関係のないシルク店なども増えてきています。でも、この通りの伝統的職業と昔ながらの生活様式は今もなお、大切にされています。
山崎 他の通りが変わって行く中で、ハンバックの連帯意識はこの現代社会で貴重ですね。では、おしまいに一曲お送りしましょう。
(曲)
「~」をお送りしました。
今日のハノイ便りは、ハノイ旧市街のハンバック通りをご紹介しました。それでは、今日はこのへんで。