戦没者の遺骨収集作業

ホアイ  こんにちは、ホアイです。 

ソン  こんにちは、ソンです。去る7月27日はベトナムの傷病兵戦没者の日でした。全国各地で国の独立のための戦争で命を犠牲にした人の恩に報いる活動が盛んでしたね。

ホアイ はい。実はこうした活動は7月27日にあたり行われるだけではなく、一年中、傷病兵に家を贈るとか、戦没者の子孫に奨学金を与えるなどしょっちゅうあることです。その中で、戦没者の遺骨を探して遺族に返すことは最も重要な活動のひとつですね。

ソン そうですね。ベトナム人の考えでは、親族の遺骨をちゃんとお墓の中に安置して定期的にお参りするのは生きている人の義務で、精神生活に欠かせないものです。そうしなければ、亡くなった親族は外のどこかでさ迷いながら食べ物も飲み物もない状態かと、、、生きている人はいつも悩みます 。

ホアイ 戦争が終わってから数十年経ちましたが、ベトナム労働・傷病軍人・社会事業省の統計によりますと、現在も、20万人あまりの戦没者の遺骨がまだ収集されていないそうです。そのため、戦没者の遺骨収集は社会全体の大きな関心事ですね。

ソン そうですね。では今日のこの時間は、南部ドンナイ省ニョンチャック県ロント地区で行われた戦没者の遺骨収集作業についてご紹介します。

戦没者の遺骨収集作業 - ảnh 1
戦没者の遺骨収集

ホアイ はい。48年前の1967年12月20日、ベトナム軍は、アメリカの同盟国でこの地区に駐屯していたタイの大隊(だいたい)を攻撃しました。この戦いは、ベトナム戦争最大の転機となる1968年1月30日の夜から展開された南ベトナムに対する大攻勢の出発点の一つだと、歴史家がよく語っています。

ソン この戦いではベトナム軍の兵士は100人以上が戦死しました。戦いの後、タイの兵士らはこれらの戦死者を2ヶ所の集団墓地に埋めましたが、墓地の位置について何にも記しがありません。また、年月が経つにつれて、かつての戦場は畑や居住地になって激しい戦いの跡すらほとんど無くなりました。

ホアイ 当時の目撃者も少なくて、現地の風景はすっかり()わり()て、墓地を確定できませんでした。こうした情報不足の中、戦没者の遺骨収集作業は2012年5月に始められました。2ヶ所の集団墓地は面積数十ヘクタールの地区にある可能性がありますので、墓地の捜索(そうさく)暗中模索(あんちゅうもさく)のようなものでした。

ソン また、当初は、機械などがなくて、クワやシャベルで掘ったり埋めたりするなど収集作業を一歩一歩進めました。その後、企業の支援によって、パワーショベルやブルドーザーなどが使われ、より多くの人も動員されました。晴れの日も雨の日も、収集作業は休まずに行われました。それにしても、1年以上経ってもなかなか見つけられませんでした。

ホアイ こうした状況を受けて、ドンナイ省現地行政府は、40年以上前にこの戦いに参加したタイの元兵士をベトナムに招いて、墓地の捜索を手伝ってもらいました。

ソン その結果はやっと2013年6月20日に、20人あまりの遺骨が眠る一つの集団墓地を見つけました。この収集作業を最初から取材したドンナイ省放送局のジャーナリストファム・ティ・キム・フエさんは次のように話しました。

(テープ)

「雨季で何日も雨が降り続いたため、現地は水溜(みずた)まったことあります。その時は止めざるを得ませんでした。しかし、現地行政府や地元の人々の応援によって、その1年後やっと一つの集団墓地を見つけました。」

ソン 今日は南部ドンナイ省で行われた戦死者の遺骨収集作業についてご紹介しています。ここで一曲お送りしましょう。「~」です。

(曲)

「~」をお送りしました。

ホアイ 今日は南部ドンナイ省で行われた戦没者の遺骨収集作業についてご紹介しています。20人余りの遺骨がある集団墓地は見つかりましたが、それより大きな集団墓地の捜索は予想したほど簡単ではありませんでした。1967年の戦いに参加して集団墓地を掘ったタイの元兵士の案内を受けたものの、なかなか見つけられませんでした。

戦没者の遺骨収集作業 - ảnh 2
戦死者が使っていたもの

ソン 現場は40年前の風景と全く変わってしまったからですね。捜索現場の面積は45ヘクタールにのぼりますが、最初の墓地を見つけてから14ヶ月経った2014年8月に残りの集団墓地をやっと見つけられました。捜索チームのリーダーを務めるドンナイ省軍事司令部のドアン・コン・タム中佐によりますと、戦時ベトナム兵士がよく使われたナイロンシートが見つかった時点で、捜索チームは全員、残りの集団墓地を見つけと、飛び上がるほど感動して興奮しました。

ホアイ 土を少しずつ掘るにつれて、サンダルや帽子、水筒(すいとう)などベトナム兵士がよく使っていたもの、そして、遺骨が見つかったのは間違いなく残りの集団墓地だと確定できました。タム中佐は、その瞬間、47年間冷たい土の中にいた戦死者たちはやっと家族の元へ帰れると思いほっとしたと、言いました。

ソン この集団墓地には、80以上の遺骨があり、最初の集団墓地と合わせると、109人の遺骨が見つかりました。その追悼式は、2014年8月31日に行われ、チュオン・タン・サン国家主席やフン・クアン・タイン国防大臣など党と国家の指導者が多数出席しました。


戦没者の遺骨収集作業 - ảnh 3
追悼式に出席したサン主席

ホアイ ドンナイ省軍事司令部の政治将校を務めるズオン・ホア・ヒェップ大佐は、今回の戦死者の遺骨収集作業では、ドンナイ省の指導者や、人々、企業から大きな支援と応援をもらいました。ヒェップ大佐の話です。

(テープ)

ソン 「これは、ドンナイ省の行政府、軍隊、国民が力を合わせた成果であると思います。多くの農家は、遺骨の捜索に必要な土地を数ヘクタールあげました。又、ドンナイ省の指導部は徹底的な指導をしてくれた他、軍事司令部のトップもこの3年、毎日捜索チームと一緒にいました。そして、多くの企業は機械やガソリンなどを提供してくれました。こうした支援は今日の成果になりました。」

ホアイ ヒェップ大差によりますと、3年もの期間で行なわれた今回の戦没者の遺骨収集作業は失敗すると思われたことがありますが、捜索チームはがっかりしてあきらめようとしたとき、国の独立のために犠牲になった人の魂とその遺族の気持ちを思うと、また元気を取り戻して捜索を続けたということです。

ソン ドンナイ省での戦死者遺骨収集作業は実は、特別な話ではありません。そういう話は、かつてとの戦場でもどこの地方にもありますね。では、おしまいに一曲お送りしましょう。「~」です。

(曲)

「~」をお送りしました。

今日のハノイ便りは、南部ドンナイ省で行われた戦死者の遺骨収集作業についてご紹介していました。それでは、今日はこのへんで。

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