経済開発を遂げた傷病兵グエン・ヴァン・チャーさん

(VOVWORLD) -1987年、激しい作戦中に彼は重傷を負い、片足を切断せざるを得なくなりました。約3年間の治療の後、彼はおよそ80%傷病率を抱えながらも、通常の生活に復帰するようになりました。
 経済開発を遂げた傷病兵グエン・ヴァン・チャーさん - ảnh 1チャーさん
今から40年前の1985年、グエン・ヴァン・チャーさんは、第330師団工兵隊に入隊し、対カンボジア軍事支援という国際的な義務を果たす目的のためカンボジアに派遣されました。1987年、激しい作戦中に彼は重傷を負い、片足を切断せざるを得なくなりました。約3年間の治療の後、彼はおよそ80%傷病率を抱えながらも、通常の生活に復帰するようになりました。
当時の生活状況について、チャーさんは次のように明らかにしました。
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「当時、国全体が貧しく、傷病兵は現在のような優遇政策を享受できませんでした。私は、約3年間にわたって療養所に入所しました。当時の兵士の給料はわずか金額ドンで、退役後の生活は極めて困難でした」
その後、チャーさんが結婚してから、彼の一家には生産用に7ヘクタールの土地が提供され、そのうち5ヘクタールは森林栽培用、2ヘクタールは農業用でした。ウーミン地方の土地は強い酸性で、森林栽培は健常者にとっても大変なことでしたが、チャーさんのような負傷兵にとってはさらに困難でした。
(テープ)
「当時、私たち夫婦は草刈り、田植え、アシの伐採など、あらゆる雇われ仕事をして、お金を稼ぎました。雇われ仕事がないときは稲作や薪の販売をして米を買って食べました。薪を売るには、ここでは誰も買ってくれませんので、他の地方まで舟で移動させなければなりませんでした」
困難はあったものの、ホー・チ・ミン主席の「傷病兵は体は不自由でも、決して無能ではない」という教えを深く心に刻み、チャーさん夫婦は困難を乗り越えることを決意しました。
 経済開発を遂げた傷病兵グエン・ヴァン・チャーさん - ảnh 2

当初、チャーさん夫婦は、稲作用地を作るために、一本一本の木を掘り起こし、一つ一つの土の塊をならし、窪地を埋めました。その後、家の周りの空き地を利用して野菜や果樹を植え、鶏、アヒル、豚を飼育する傍ら、堤防の空き地にバナナを植えました。

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「現在、バナナは毎年数千万ドンの収入をもたらします。バナナは何も無駄にならず、バナナの葉もバナナの花も売れます。我が家はバナナ栽培と稲作、カユプテの木栽培などを組み合わせ、毎年約3億ドン(約171万円)の収入を得ています」
兵士としての不屈の精神で、チャーさんは酸性の土地をカユプテ林や農作物畑に変え、実り多いものにしました。そのおかげで、彼の一家は経済発展を遂げており、安定した生活に送れるようになっています。
チャーさんの努力と向上心に感銘を受け、カマウ省カインラム村の第10号退役軍人会支部のホー・ミン・クエン会長は次のように述べました。
(テープ)
「この土地は昔から酸性が強く、耕作が非常に困難でした。チャーさんは植林できるようになるまでには、大変な努力が必要でした。草刈りや土壌改良には勤勉さが必要で、チャーさんは毎日草刈りや庭の手入れに励んだ結果、今のようになりました。さらに、彼は退役軍人会でも熱心に活動しています」
今年63歳になる彼の毎月の給与も、夫婦の生活を支える助けとなっています。しかし、退役軍人のグエン・ヴァン・チャーさんは、ホー・チ・ミン主席の「労働は光栄である」という教えを常に心に留め、毎日黙々と働き、生産活動に励んでいます。
経済発展への努力と地域活動への積極的な参加により、チャーさんはカマウ省の功労者4人のうちの1人として、2024年にハノイで開催される全国革命功労者表彰会議に派遣されました。

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