カントー市のガジュマルの歴史遺跡

(VOVWORLD) -かつて、フランス植民地主義者との戦いとアメリカ帝国主義者との闘争において、この遺跡は革命根拠地でした。
カントー市のガジュマルの歴史遺跡 - ảnh 1

カントー市フォンディン県にあるガジュマルの木の歴史遺跡は2013年、 カントー市の人民委員会により、市レベルの歴史遺跡として認定されました。かつて、フランス植民地主義者との戦いとアメリカ帝国主義者との闘争において、この遺跡は革命根拠地でした。

その前、この遺跡地区の面積はかなり大きいでしたが、戦争と気候変動により、現在およそ2700平方メートルに縮まってしまいました。

ガジュマルの木の歴史遺跡に足を運ぶならば、観光客はガジュマルの無数の気根が絡み合って、網を張っている光景を驚くことでしょう。今日、戦争中の爆弾により傷付いた跡も残されています。フォンディン県ニョンギア村の住民のウット・ヒェン( Ut Hien) さんは次のように語りました。

(テープ)

「かつて、この地区は湿地だったので、枝からでた無数の気根が生長し、巨大なガジュマルとなりました。戦争中に、木の根が弾薬により破壊されたので、今、この木の根がどこにあるのかわかりません」

カントー市のガジュマルの歴史遺跡 - ảnh 2

フォンディン県にあるガジュマルの歴史遺跡は僻地にあるため、ここに行くのは難しいですから、戦争中、ここが西南部地域とカント省の党委員会の会議の開催場所として選ばれました。

また、武器や革命の資料を隠匿したり、幹部や兵士を育成、集結場所でもありました。この遺跡で戦争中、革命活動に参加した第9軍区の幹部の一人フン・バン・チェンさんは次のように語りました。

(テープ)

「戦争中、この地区で革命活動を行いました。当時、地元の人々は地下トンネルに住んだ人民軍の幹部や兵士に食事やベトナムの伝統的旧正月テトのちまきであるバインテットを提供しました。これにより、幹部や兵士は空腹を満たし、国の解放事業に力強く参加できるようになりました」

毎年、7月27日の傷病軍人戦没者の日と12月22日のベトナム人民軍創立記念日に、この遺跡で、国の独立を勝ち取るため命を犠牲にした捧げた英雄烈士を偲ぶ式典が行われます。

カントー市のガジュマルの歴史遺跡 - ảnh 3

南部が完全解放されてから、地元の人々はガジュマルの遺跡を維持と保存に引き続き取り組んでいます。

2011年、カントー市人民委員会はここで生態観光地の建設への投資を決定しました。その総面積は33万2000平方メートルにのぼっています。そして、2013年、このガジュマルがベトナム自然・環境保護協会により、ベトナムの遺産の木として認定されました。

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