ファデイン峠、いわゆる、ファデイン坂の長さは32キロで、国道6号線上にあり、ディンビェン省へ行くメインゲートとなっています。この峠の一番高い所は 海抜1648メートルです。一方は高い山、一方は深い谷底です。かつてのディンビェンフー作戦に、人民軍の兵士はこの峠を通って、ディンビェンの戦場に大 砲を運びました。
現在、ファディン峠は60年前と比べて険しさが減りましたが、60年前はディンビェンフー作戦への武器や物資、食品を補給する主要なルートになりました。ベトナムの民兵およそ8000人がこの峠を越えたのです。ディンビェンフー作戦に大砲を引くことをテーマとした歌の作曲家ホァン・バン( Hoang Van) さんは今でもフェディン峠を越える光景と苦しみを忘れることができません。
(テープ)
「ディ ンビェン省のムオンタイン野原に行くため、私たちは長い峠を越えなければなりませんでした。この峠にはトラック、あるいは、自転車で、そして、天秤棒など を利用して、人民軍の兵士や民兵などが戦場への物資を運びました。上空ではフランス軍の飛行機が連続して爆撃するので、多くのトラックや自転車が爆撃で、 炎上しました。私はこれらの光景を忘れることができません」
かつての人民軍の兵士はファディン峠を通って、自力で、ディンビェンフー戦場に大砲を運びました。先ほどの作曲家ホァン・バンさんはさらに次のように語りました。
(テープ)
「大砲を引く時は大勢がが参加しなければなりませんでした。片端で多数の人々が引きますが、残りの片方は多くの人々が押し上げます。兵士は巻き上げのウインチなどを利用し、一歩一歩引き上げますが、いつも、仕事が順調に進むわけではありません。敵軍の爆撃により、ウインチが壊れることもありました。その場合、即時に、大砲を受け止めないと、大砲が谷底へ落ちてしまいます。トゥ・ビン・ジェンという英雄はその時に支えて犠牲になりました。彼は大砲が谷底へ落とさないように、自分の身体で大砲を阻んたのです」
ファディン峠からディンビェン町までの距離は数十キロでしたが、戦場に大砲を引く道はキロメートルで計算できません。かつてのディンビェンフー作戦の砲兵部隊の兵士であったファム・ドゥク・ク( Pham Duc Cu) さんは次のように語りました。
(テープ)
「ディンビェン戦場への行軍はとても大変でした。特に、戦場から数十キロ離れた所に自分の力で大砲を引かなければなりませんでした。これは砲兵人生の中で最もつらい時期でした。私たちは重さ2,4トンの大砲を険しい坂の上に引きあげました。いつまでたっても忘れることができません」
ファディン峠の終点にはトゥ・ビン・ジェンという英雄とその戦友を偲ぶ記念塔があります。長さ24メートル、幅8メートル、高さ12,5メートルのこの記念塔は昔のディンビェンフー作戦に参戦した兵士の功労を忘れないようにと人々に伝えています。