首都ハノイから北へ1200キロメートルほど離れた北部丘陵地域フート(PhuTho)省タン・バ(ThanhBa)県バン・リン(VanLinh)村はお茶の栽培で知られています。それだけでなく、この村では経済発展へ向けて互いに助け合うという運動が頻繁に行われています。その中でも、バンリン村の1号村落の復員軍人夫人によるクラブがあります。
クラブの会員は53人で、そのうちの多くが困難な生活を送っています。ですから、彼らは経済発展へ向けて互いに助け合っています。毎年、会員一人は同クラブの補助基金に10万ドン(40円程度)を納めます。
クラブのグェン・ティ・ニエム主任は次のように語りました。
(テープ)
「生産拡大をしたい人は補助基金から融資を受けられます。この基金の寄付金はクラブの会員から自発的に寄付されます。これまでに、補助基金は5人に資金を提供してきました。普通は、一人当たり200万ドン(800円程度)を融資金利0,5%で提供されます。」
ニエム主任はこのように語りました。
この2年間、最も困難な状況にあった5人が融資を受けました。その中の一人であるグェン・ティ・フォンさんの家庭は、小さなお茶畑に頼っているため、常に資金不足の生活にさらされていました。彼女は補助基金からの融資金を利用して、二匹の子豚を買い飼うことにしました。2年後、フォンさんの家庭は、借りたお金を返済できるようになりました。さらに、豚の数は以前より多くになりました。フォンさんは次のように語りました。
(テープ)
「復員軍人夫人たちのクラブ会員は皆労働者です。クラブを設立した際に、私たちは、互いに助け合う気持ちでこのクラブに参加することにしました。」
フォンさんはこのように語りました。
その一方で、クラブの会員たちは「愛情の米壷」を作っています。全ての会員の台所の隅には米を入れる小さな壷があります。主任のニエムさんは、夫と子供が枯葉剤の後遺症で悩んでおり、困難な状況にある家庭ですが、この壷に米を入れるという行動は一度も忘れませんでした。
(テープ)
「女性たちは、毎月、この壷に少しの米を入れます。年末までに、貧困な状況にある人を助けます。これまでに、3人がそれぞれ10キロの米をもらえましたよ。」
ニエムさんはこのように語りました
復員軍人夫人によるクラブを設立してから2年間経ちました。しかし、このクラブの創立者は男性のグェン・バン・リエウさんです。中部ダナン市出身のリエウさんは、「生きる残った人は助け合うように」という戦争時代の部隊の仲間との公約を守るために、このクラブを設立することにしたと明らかにしました。
(テープ)
「かつての戦争中に、夫たちが戦場で参戦していた間、後方に残された夫人たちは、子供の面倒を見たり、生計を立てたりしていました。戦争終結後、夫人たちは帰省して、奥さんとともに家庭の仕事を負担しています。そのため、奥さんたちは暇な時間を使って、互いに助け合うためにクラブを設立させたいのです。私は、長年にわたって大衆運動に参加したので、このクラブを創立することにしました。」
リエウさんはこのように語りました。
バンリン村の1号村落の復員軍人の夫人たちによるこのクラブの有意義な活動が頻繁に行なわれることを期待しましょう。