パリ協定の交渉・ホーチミン時代の芸術的外交

「ベトナムにおける戦争の終結、平和の再開」に関する協定、通称、パリ協定が1973年1月27日にフランスの首都パリで締結されました。この協定の締結に至るまでの交渉時間は5年にわたって行なわれ、かつてない最長のものとなりまし。この間、202回の公開会議、24回の個別会議が行なわれてきました。パリ協定の交渉はベトナムとアメリカとの機知に富んだ戦いであると言われてきました。

パリ協定の交渉・ホーチミン時代の芸術的外交 - ảnh 1

ベトナム交渉団のメンバーだったグェン・カク・フィンさんは次のように語りました。

(テープ) 

「パリ協定の交渉は長引き、様々な困難に直面していました。というのは、この交渉は戦場の状況に左右されたからです。つまり、ベトナム南部の軍隊がアメリカに勝っている限り、交渉が安泰でした。また、この交渉は機知に富んだ戦いでもありました。機知の戦いでありながら、戦略の戦い、戦術との戦いでもあり、本領との戦い、及び謀略の戦いでもありました。交渉で、ベトナム側はアメリカが撤兵し、南ベトナムでの戦争停止を受け入れるという最高の目標を達成するために、断固として戦っていたのです。」

フィンさんはこのように語りました。

ベトナム民族史上で、ベトナム外交の交渉が勝利を収めたのは今回が初めてではありません。しかしながら、1946年3月6日の条約やジュネーブ協定と比べるならば、パリ協定の交渉は当時の国際情勢におけるベトナム人民の戦いの勝利とその傾向が改めて反映されていました。

パリ協定の締結に至るまでの交渉は、ベトナム共産党、ホーチミン主席の優れた指導能力、及びベトナム革命外交の知恵を十分に反映していました。ベトナムはソ連、中国、社会主義諸国、非同盟諸国、世界各国の人民の支持を受けていました。

パリ協定の交渉・ホーチミン時代の芸術的外交 - ảnh 2

 

在フランスベトナム大使館のボ・バン・スン元大使は次のように語りました。

(テープ)

「パリ協定の勝利には2つの重要な点があります。それは先ず、外交面では、ベトナムに対する主催国のフランスの賛同と支持をどうすれば受け止めるのか、話し合ったり正しく行動したりしなければならないということです。そして、世界各国の人民からの支持をどのように受けるのかをしなければならないということです。12日間に渡ったハノイ上空デェン・ビェン・フー作戦と呼ばれるアメリカの空爆作戦では、フランス外相は常にベトナム交渉代表団に出会いました。彼は、この作戦の情報を把握した上で、態度を示したいのでした。この作戦で、ベトナムはフランスを始めとする西欧諸国の人民から支持を受けていました。」

スン元大使はこのように語りました。

パリ協定締結40周年を記念するに当たり、ベトナム交渉団のメンバーであるグェン・カク・フィンさんは当放送局のジャーナリストとの談話の中で「パリ協定はベトナム共産党の指導と世界の友人の支持の元で、草の根外交の総合的な勝利である」と強調し、次のように語りました。       

(テープ) 

「パリ協定とパリ協定の交渉はベトナム外交の能力を世界レベルに押し上げ、ベトナム外交の発展に寄与してきました。これ以降、ベトナムの外交官は、世界各国の代表団との接触で、以前より自然の状態で、平等で落ち着いた姿勢を示すようになりました。」

フィンさんはこのように語りました。

パリ協定が締結されてからこの40年、ベトナムは180の国と地域と外交関係を結んでおり、複数の大国と平等なパートナーとなっています。ベトナムはアメリカと国交を正常化し、協力の道へ進んでいます。パリ協定の交渉における民族独立主権保護の意志と国際団結の精神に関する教訓は、現在でも重要な価値を持っています。ベトナムの後継者はそれらの価値を受け継ぎ、常に新たな条件における平和友好外交思想の形成に活用しています。

 

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