東欧バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナでは失業や生活苦をめぐる抗議デモが全国に広がり、暴徒化しました。旧ユーゴスラビアからの独立をめぐる主要3民族勢力間の内戦が1995年に終結して以来、最大規模の反政府行動に発展しました。

写真:ロイター
デモは民間に売却された元国営工場が閉鎖されたのをきっかけに北部トゥズラで5日に始まり、20あまりの大小の都市での同時多発的なデモへと広がりました。デモ隊と機動隊の衝突で150人以上が負傷しました。首都サラエボの大統領官邸など、各地の庁舎にデモの参加者が押し入っています。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは失業率が44%を超え、5人に1人が貧困ライン以下で生活しています。1か月の平均賃金は420ユーロ(約5万 9000円)程度です。トゥズラでのデモは賃金の未払いや多数の旧国有工場が不正に私有化されたことに対する労働者たちの抗議が発端となりました。これが厳しい経済状況を打開できない政府に対する怒りとなって広がりました。デモの参加者たちは「非常に悪い状態の経済が放置された政治的こう着状態の責任は主に地方自治体の政治家にある」として、その辞任を求めています。
デモ開始から3日目となった7日、サラエボやトゥズラではデモの参加者が庁舎に火をつけました。サラエボでは大統領官邸など政府関連の建物2か所にデモ隊が押し入り、機動隊がゴム弾や催涙ガスで対応しました。サラエボでは少なくとも105人が負傷し、うち78人は警官であるということです。一方、トゥズラでは若者たちが庁舎に押し入って、家具やテレビを窓から投げ捨て、11人が負傷し、学校は7日も休校になりました。
中部の都市ゼニツァでは約3000人がデモに繰り出し、現地の通信社は機動隊との衝突で50人以上が負傷したと報じました。ボスニアでこれだけ大規模な騒乱が起きたのは、1992年から1995年の内戦以来となっています。
ソチ五輪が開かれている今月は、旧ユーゴスラビア連邦が開催国だったサラエボ冬季五輪から30年に当たります。今回の暴動は、五輪の7年後に始まった旧ユーゴ連邦の解体と、10万人が犠牲になった内戦の後遺症から、ボスニアが今なお
立ち
直れていない状況を浮かび上がらせました。また、内戦終結後、それぞれの民族が独自の政府や大統領を持ち、分権化が進められましたが、国として事実上分裂しているとも指摘されており、民族の融和をどう進めていくのかが今後の大きな課題です。