ホーチミンルート昔と今

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ホーチミンルート

ホーチミンルート、またの名チュオンソンルートはベトナムが南北に分離されていた時代背景のころに、南部を支援する目的として1959年に建設されました。1959年から1975年までの16年間にわたって、ホーチミンルートは南部完全解放・国の統一事業に寄与する戦略的意義を持つ要素の一つとなりました。そのルートは独立・自由を勝ち取るベトナム民族の意志のシンボルでも見なされました。

ホーチミンルートはベトナム中部、ラオス、カンボジアを貫く戦略的軍事交通網となりました。全長およそ2万キロメートルに及ぶこの交通網を通して、抗米救国闘争時、南部解放軍を支援する為の兵力、食糧、武器などが輸送されました。さらに、このルートで、ベトナムの人民部隊はアメリカの戦闘機2400機を撃墜しました。

1959年5月19日に、中央軍事委員会は、南部の戦場を支援する為、道路の建設に当たる第559号師団を設立する事にしました。同師団の元士官であるレ・キム・ト大佐は次のように明らかにしました。

(テープ)

「当時、毎日のように、爆弾と戦闘機の音が鳴り響いていました。犠牲になった兵士も多かったです。しかし、私たちは、破壊された道路の改修に着手しました。」

ホーチミンルートはベトナムのみならず、ラオス、及びカンボジアの革命にとっても役割を果たしました。チュオンソン建設総公社のド・ザン・ナム社長は次のように語りました。

(テープ)

「このルートのお陰で、私たちは、2百万トンあまりの武器、爆弾を輸送した他、のべ200万人あまりが戦場へと行き来しました。また、このルートを通して、ベトナムの軍隊は、戦車、大砲を南部の戦場へ運び込みました。」

あれから、現在のホーチミンルートは変わってきました。55年前にこれは南部の戦場を支援する戦略的交通道路でしたが、現在は、ルート沿い各地方の経済発展に寄与する重要な道路となっています。

先ほどのナム氏は次のように語りました。

(テープ)

「現在の平和時に、党と国家はこの道路の整備に巨額を拠出しました。これは南北を貫く大規模な道路であり、道路沿いにある各地方の経済社会発展に繫がっています。」

この重要な道路の潜在力と利点を活かす事は、国の建設発展事業における重要な達成項目であると、党と国家は説明しています。

フン・クアン・タン国防大臣は次のように強調しています。

(テープ)

「私たちは、独立・自主の精神と全民族の総合的力を発揮し、国の経済社会発展、貧困解消、国防安全を目指す為にかつてのチュンソンルートを整備しなければなりません。」

今日のホーチミンルート、つまりチュンソンルートは国防安全、経済社会発展に寄与する主要道路であるだけでなく、ベトナム民族の独立闘争に繋ぐ特別国家歴史遺跡にもなっています。

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