社会主義へ進むのはホーチミン主席が選んだ道

(VOVWORLD) -当時、フランスの植民地支配下にあったベトナムの人々が苦しい生活を送っているのを目撃したホーチミン主席は民族解放の決意を固め、フランスを始め、西側諸国の現状を把握し、民族を解放する道のりを見つけられると思いました。

今からちょうど110年前、つまり、1911年6月5日、ホーチミン主席は、救国の道を求めて、当時のサイゴン(現ホーチミン市)を流れるサイゴン川のニャーロン港を出港しました。その時、ホーチミン主席は、フランスの支配下にあったベトナムに独立を取り戻すという決意を持って国外へ出発したのです。

当時、フランスの植民地支配下にあったベトナムの人々が苦しい生活を送っているのを目撃したホーチミン主席は民族解放の決意を固め、フランスを始め、西側諸国の現状を把握し、民族を解放する道のりを見つけられると思いました。

社会主義へ進むのはホーチミン主席が選んだ道 - ảnh 11920年に開かれたフランス社会党の第18回大会に参加したグエン・アイ・コク(後はホーチミン主席)
(写真:TTXVN)

ホーチミン主席とベトナム共産党の指導者研究所のリー・ベト・クアン博士は国外で生活を送っていた時、ホーチミン主席はレーニンが執筆した『民族問題と植民地問題に関するテーゼ』を読みました。これをきっかけに、ホーチミン主席はベトナムにおけるプロレタリア革命、民族独立と社会主義の実現を乗り出す方針を持つようになったと明らかにし、次のように語りました。

(テープ)

「ホーチミン主席はこのテーゼを読む前、ベトナム革命がどのようになるかを明確に考えていません。しかし、レーニンのテーゼを読んだ後、これはこれまで長く探していくことを見つけたと思いました。レーニンが執筆したこのテーゼにより、ホーチミン主席は今後、ベトナムは民族解放と階級解放、人間解放の両立や民族独立と社会主義の実現の両立を行うということを理解できるようになりました。」

1941年、30年間外国で救国の道を探ったホーチミン主席は帰国し、国内で革命活動を指導しました。そして、1945年に、「八月革命」を成功裏に指導して、ベトナム民主共和国を誕生させました。民族独立を勝ち取った最初の日々に、ホーチミン主席は「政府は国民の生活に関心を寄せるべきだ」という立場を示しました。

当時、ホーチミン主席は「まず始めに4つのことを実施すべきだ。これらは人民に食事を与えること、衣服を与えること、住むところを与えること、学習のチャンスを与えるということである」と明らかにしました。ホーチミン博物館のチュ・ドゥク・テイン元館長は次のように語りました。

(テープ)

「ベトナム民主共和国が樹立された時、ホーチミン主席はわかりやすく説明してくれました。『人民がない政府は力がない。政府がない人民は道を案内する人はいない』ということです。ホーチミン主席は幹部らに対し、政策の策定から実施まで、いつも、「人民に利益をもたらすことに全力を尽くす。人民に害をもたらすことを避ける」という方針を堅持するよう教えました」

アメリカ帝国主義者との戦いの時期に、北部は社会主義を建設しながら、南部で行われていた闘争を支援しました。当時、ホーチミン主席は「国民が豊かで幸福な生活を送れるのはベトナムでの社会主義の重要な目標の一つである」と強調しました。ホーチミン国家政治学院所属共産党歴史研究所のマック・クアン・タン教授は次のように語りました。

(テープ)

 「ホーチミン主席は生前『社会主義国では人が人を搾取する制度がない』と言いました。社会主義はすべての人々に豊かで、自由、幸福をもたらします。また、ホーチミン主席の考えでは社会主義国は人民が主人公になる社会であるということです」

ホーチミン主席の願望を履行して、1991年に策定された社会主義への過渡期における国の建設綱領で、ベトナム共産党はベトナム共産党と国民は今後も、引き続き民族独立と社会主義の建設を続行することを強調しました。また、2011年に策定された社会主義への過渡期における国の建設綱領で、ベトナム共産党は「豊かな国民、強固な国、民主主義的で公平、かつ、文明的社会づくり」という目標の遂行のためドイモイ(刷新)事業を引き続き行う方針を示しました。ホーチミン国家政治学院のブイ・ディン・フオン博士は次のように語りました。

(テープ)             

「我々は社会主義を建設していますが、この事業は国民の国民による国民のためのものです。現在、我々は社会主義への過渡期にあることから、古いことと新しいこと、良いこと悪いことが共存しています。この過渡期は長くて大変な時期ですが、明るい未来に向かって頑張っています」

社会主義へ進むのはホーチミン主席を始め、ベトナム共産党の選択肢であり、ベトナム国民の願望でもあります。また、これは歴史の発展の流れに合致していると言えることでしょう。

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