1972年の「上空ハノイ・ディエンビエンフー作戦」 ベトナムの知恵と力の勝利

(VOVWORLD) - 「上空ハノイ・ディエンビエンフー作戦」から50年が経ちましたが、この勝利から引き出された意義や教訓などは今日の建設・防衛事業にとっても重要な意味を持っています。

今から50年前の1972年12月18日から29日まで、アメリカ軍はベトナム民主共和国(北ベトナム)の二大都市であるハノイとハイフォンへの爆撃を主とする作戦を行いました。「ラインバッカーⅡ作戦」と呼ばれたこの作戦は最終段階に来ていたパリ和平交渉の最後の圧力となることが期待されていました。この 12 日間の爆撃(クリスマス爆撃)に対するベトナム軍の反撃は、成功裏に終わったことが和平協定を導いたものとしてベトナムでは「上空ハノイ・ディン ビエンフー」ともいわれています。

 「ラインバッカーⅡ作戦」で、アメリカ軍は、当時アメリカ軍が所有していた戦略爆撃機B52型機の約半分にあたる193機のB52型機を始め、1千機以上もの軍用機を動員しました。また、アメリカ海軍はこの作戦を支援するため、ベトナムと中国・海南島に挟まれたトンキン湾で活動する艦艇を18隻から66隻に増やしました。

「ラインバッカーⅡ作戦」の失敗

ラインバッカーⅡ作戦の 12 日間に、 B52型機が740 回、他の戦闘爆撃機が1000回以上出撃し、3万6千トン以上の爆弾がハノイやハイフォンなどに投下されました。特に、アメリカ空軍は、ハノイの密集住宅街であったカムティエン通りやバクマイ病院をB 52で絨毯爆撃しました。「空からの無差別大量殺戮」によって 500 人近くが死傷し、約2000 戸の家屋が全 壊もしくは一部損壊しました。

1972年の「上空ハノイ・ディエンビエンフー作戦」 ベトナムの知恵と力の勝利 - ảnh 1ビン国防次官

しかし、周到な準備と必勝の精神により、ベトナム防空・空軍は、この12日間でアメリカ軍の戦闘機81機を撃墜しました。撃墜されたB52の数は34機にも上りました。ベトナム国防省のレ・フイ・ビン次官は次のように語りました。

(テープ)

「ハノイやハイフォンを守る1972年の防空作戦では、戦略爆撃機B52型機が最も撃墜され、アメリカ軍に大打撃を与えました。これにより、パリ和平交渉の最後の圧力をかけるというアメリカの陰謀が失敗し、アメリカは1973年1月にベトナムの和平回復を目指すパリ和平協定を締結せざるを得ませんでした。その意味で、「上空ハノイ・ディエンビエンフー作戦」の勝利は抗米救国闘争の完全な勝利の基盤となりました」

1972年12月30日付のアメリカ空軍の雑誌「US.Air Forces」は、戦略航空軍団の副担当者George Etter氏の言葉を引用し、「戦闘爆撃機B52型機と乗組員に関する損失は深刻で、ペンタゴンの計画策定者に大打撃を与えてきた」と報じました。一方、アメリカの当時のリチャード・ニックソン大統領は自らの回顧録で「当時、私が心配したのはアメリカ国内と世界の強烈な反発ではなく、B52型機の深刻な損失だ」と明記しました。

ベトナムの知恵と力による勝利

今月の9日にハノイで行われた「上空ハノイ・ディエンビエンフー作戦の勝利・ベトナムの知恵と力」をテーマとした国レベルのシンポジウムでは、1972年のこの勝利は抗米救国闘争の決定的な岐路となったもので、重要な意義を持っていたとの意見が科学者や研究者から出されました。ベトナム軍事歴史研究所のグエン・ホアン・ニエン所長は、「この勝利はベトナムの知恵と力を結晶させて得られたものである」と述べ、次のように語りました。

(テープ)

「上空ハノイ・ディエンビエンフー作戦の勝利は「自由と独立ほど尊いものは何もない」という精神で闘ってきた英雄的な民族の勝利です。また、アメリカ人を含む平和を愛好する各国の人々の効果的な支援を受けた正義の闘争の勝利でもあります。広範にいえば、これは、独立・自由・民主主義のための世界各国での運動を大きく鼓舞したものとして人類の時代的な勝利であると言えます」

「上空ハノイ・ディエンビエンフー作戦」から50年が経ちましたが、この勝利から引き出された意義や教訓などは今日の建設・防衛事業にとっても重要な意味を持っています。

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