石垣さんのホーチミン主席の葬儀に関する記憶映画の制作
ハノイ便りの時間がやってまいりました。
ホアイ ご機嫌いかがですか皆さん。ホアイです。
アン こんにちは。アンです。45年前の1969年9月9日、ハノイ中心地にあるバーディン広場でホーチミン主席の葬儀が行われました。その様子を撮影した日本人ジャーナリストがいます。これは当時、日本電波ニュース社のベトナム特派員であった石垣巳佐夫さんです。今日のこの時間は石垣さんのホーチミン主席の葬儀に関する記憶映画の制作についてお話しようと思います。
ホアイ とても貴重な内容ですね。2014年9月、石垣さんは現在、日本電波ニュース社の社長として久しぶりにハノイを訪れました。そして、バーディン広場で45年前に行われた出来事を思い出しました。ホーチミン主席の葬儀を撮影したドキュメンタリーは石垣さんにとってベトナムでの最初の映画です。その時、石垣さんはベトナムに着任してまだ1ヶ月足らずでした。その時のことを次のように語りました。
(日本語のテープ)
アン ベトナムに来る前に、石垣さんは日本電波ニュース社のハノイ支局の支局長として、ホーチミン主席と面会することを望みましたが、残念なことはハノイに来た時、ホーチミン主席はすでに亡くなっていたということです。
ホアイ 石垣さんはホーチミン主席の葬儀に関するドキュメンタリーを一人で制作しました。葬儀が行われた日について、石垣さんは次のように語りました。
アン その日は晴れていて、暑い日でした。数万人のベトナム人がバーディン広場に集まって、誰もが泣いていました。その泣き声は空高くとどろいていたようです。
ホアイ ベトナム人の助けにより、石垣さんはホーチミン主席の葬儀を撮影するためのいい場所を選ぶことができました。石垣さんの話です。
(日本語のテープ)
では、ここでちょっとティータイムにして、歌をお聞きいただきましょう。
歌 をお送りしました。
アン 話を続けましょう。石垣さんにとって、もっとも印象深い映像は当時のベトナム共産党のレズアン書記長が弔問を読み上げたあと、ベトナムのすべての指導者らは演壇からバーディン広場に集まっていた一般大衆の所に行き、痛みを分かち合おうとしたことです。石垣さんの話です。
(日本語のテープ)
ホアイ 石垣さんが撮ったドキュメンタリーはすぐに日本に送り、テレビで放映されました。当時、日本電波ニュース社の編集スタッフである吉田 ひろこさんは次のように語りました。
(日本語のテープ)
アン ホーチミン主席の葬儀に関するドキュメンタリー映画がその後、一早く日本だけでなく、アメリカと西側諸国のテレビで放映されました。これはアメリカを始め、世界各国に送られた民族独立と平和への願いに関するベトナム国民のメッセージですね。
ホアイ そうですね。最後に、このドキュメンタリー映画の一部をお聞きいただきましょう。「ホーチミン主席が生涯願い続けたことは必ず実現されることでしょう。ですから、ホーチミン主席は永遠にベトナムと共に存在し、その姿はいつまでもベトナム人民の心に刻まれるからです。」
アン では、おしまいに歌をお聴き頂き、今日のハノイ便りを終わりにしましょう。「歌」をお送りしました。
リスナーのみなさん。今日のこの時間は現在日本電波ニュース社の社長・石垣さんが45年前のホーチミン主席の葬儀の模様をドキュメンタリーの制作・発表した様子についてご紹介しました。それでは、今日のハノイ便りの時間はこれで終わります。来週のこの時間に又お会いしましょう。ごきげんよう。
Chao cac ban。