傑出した指導者、レ・ズアン党書記長


傑出した指導者、レ・ズアン党書記長 - ảnh 1
1976年、第4回党大会の参加者と話し合うレ・ズアン氏(右)(資料写真)

レ・ズアン書記長(1907–1986)は、国の民族解放・統一闘争事業に多大な貢献をしてきた人物です。彼には、民族の利益の為に絶え間なく取り組む指導者の品質と同胞への仁愛、情け深い心があります。

1954年にジュネーブ協定が締結さた後、南部党委員会書記としてのレ・ズアン氏は暴力革命と武装闘争問題に関する「南部革命の概要」を執筆しました。南部の革命運動が弾圧状態にさらされている時点において、政治的闘争の成功をもたらす為、より大規模で強力な部隊の増援が必要となるという状況の中で、レ・ズアン氏は党中央委員会に15号決議の発効を提出しました。そして、この決議は、革命運動を危険な状態から救う為に、南部の民族解放運動における武力闘争を認めるものであり,現状の要求と大多数の幹部、国民の願望に正しく応えたと評価されました。この決議は、南部における1960年の民衆蜂起の開始につながりました。歴史研究者のチャン・ティ・ニュン博士は次のように語っています。

(テープ)

「当時、南部における民衆蜂起の勃発は、人民と革命家らが、南部における大多数の農村部を取り戻したという結果をもたらしました。これは、ゴ・ディン・ジエム政権を転覆させる為に武力闘争を決定したレ・ズアン書記長の正しい路線の表れです。」

レ・ズアン書記長は自分が執筆した「南部への書簡」という作品の中で、暴力革命を主張すると共に、「抗米闘争では、我々は単なる武装闘争だけではなく、武装闘争と政治闘争を並行して行なえば、勝利を収めるだろう」と明記しました。また、彼は「我々が、敵を殺すために、武装活動や運動を行った。これは、目標の一つに過ぎないので、もう一つの目標は土地を取り戻し、国民の支持を得るということである。でなければ、我々は後方支援を受けることができない。」と強調しました。こうした見解のお陰で、南部各地に赴むいた人民部隊は、農村部から都市部へ移転するようになり、そして、1975年4月30日に南部完全解放、国の統一をもたらしてきました。軍事科学室のホ・ソン・ダイ博士は次のように語りました。

(テープ)

「レ・ズアン書記長は、ベトナム共産党中央委員会のメンバーと共に、民族解放闘争路線を確定していました。同時に、当時の実情に合わせて武装闘争のやり方を提示してきました。」

レ・ズアン氏は、1960年から1986年までの26年連続で、ベトナム労働党の第一書記、後にベトナム共産党の書記長として、「北部における社会主義の建設防衛」と「南部解放・国の統一、全国を社会主義方向へ進める」という民族の戦略的な任務を同時に実現していました。ベトナム共産党教育宣伝委員会のブ・バン・トゥオン委員長は次のように語りました。

(テープ)

「統一し、平和になり、社会主義の方向へ進んだ後に、ベトナムは数十年にわたる戦争の後遺症と共に様々な困難に直面してきました。党の最高指導者としての責任で、レ・ズアン氏は、常にそれらの困難を乗り越える為の新たな方法を考えていました。故レ・ズアン書記長の貢献は、国のドイモイ刷新事業の土台を作り出しました。」

レ・ズアン書記長はお手本となる革命家です。そして、ホーチミン主席の優れた教え子でもあります。ベトナム革命に対するレ・ズアン書記長の功労は歴史に認められ、ベトナム国民に偲ばれています。

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