(VOVWORLD) - 彼女の生涯は、困難な戦場時代から平和な時代に至るまで、努力と献身の道のりであり、単なる献身的な医師としてだけでなく、慈善活動に尽力し、困難な境遇にある人々が生活を立て直すのを支援してきました。
2025年の愛国競争運動において、第108軍隊中央病院元副院長グエン・キム・ヌー・ヒエウ大佐・准教授・博士は、高齢ながらも献身への情熱に満ちた模範的な人物として顕彰されました。彼女の生涯は、困難な戦場時代から平和な時代に至るまで、努力と献身の道のりであり、単なる献身的な医師としてだけでなく、慈善活動に尽力し、困難な境遇にある人々が生活を立て直すのを支援してきました。
グエン・キム・ヌー・ヒエウ大佐・准教授・博士(写真:Bảo Lâm/hanoimoi.vn) |
第108軍隊中央病院の診察室では、穏やかな笑顔の小柄なヒエウさんは、コミュニティの健康相談会に定期的に姿を見せています。1965年5月、ハノイ医科大学在学中のヒエウさんは100人の学生と共に、若さを捧げたいという熱い思いを胸に、自ら志願して学業を中断し入隊することにしました。1972年1月、彼女は第一子を身ごもっている最中に、中部クアンチ戦線へ向かう辞令を受けました。
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「私は常に戦場へ行きたいという希望を持っていました。それは、家に座っているのではなく、激戦地で実際に経験したいと思ったからです。ですから、大変なことや困難があっても乗り越えようと、夫と話し合って出発を決めたのです」
1972年1月、ヒエウさんは中部クアンチ戦線へ向かう辞令を受けた(写真:本人提供) |
戦後、ヒエウさんは、軍事医学のために生涯を捧げ続けています。彼女は、伝染病科、高級幹部科、小児科から第108軍隊中央病院の副院長まで、様々な役職を歴任していました。
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「どの年齢であっても勉強しなければなりません。そうしないと、新しいものに追いつけないからです。私は定年退職した医師ですが、世の中の役に立つために、常に新しい知識を身につける必要があります」
2003年、ヒエウさんは退職し、一般の生活に戻りましたが、人命救助と軍服の「緑」に生涯を捧げた彼女にとって、「休息」という言葉はあまりにも縁遠いものだったようです。
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「高齢ではありますが、まだできることがあるのなら、それをやり遂げようと努力しなければなりません。それだけでなく、他の人にも広めようと努力しています。自分ができなくなっても、良い行いが広がり、皆に愛情が届けられるようにするためです」
戦場で負傷兵の治療と励ましにあたるヒエウ医師(写真:本人提供) |
20年以上にわたり、ヒエウさんは多くの社会活動に参加し、退役軍人協会や枯葉剤・ダイオキシン被害者協会の執行委員として活躍しています。
彼女は志を同じくする友人たちとともに、「女性知識人・あなたの友」と名づけられたグループを設立しました。グループは主に二つの目標を掲げています。一つは、枯葉剤被害者の苦しみを和らげ、分かち合うこと。二つ目は、国境地帯在住の貧しい女性たちに対し、貧困から脱するための持続可能な生計手段を提供することです。
これまで、このグループが実施してきた支援プロジェクト、例えば、ロンサップ村における「繁殖用ヤギ飼育」プロジェクトや、チエンクーア村における「シャン・トゥエット茶栽培」、「イノシシ飼育」プロジェクトなどは、目覚ましい効果をもたらし、多くの家族の貧困解消、生活改善に貢献してきました。
ヒエウ大佐・准教授・博士がグループとともにソンラ省の住民に経済発展支援モデルを贈呈(写真:本人提供) |
ヒエウさんの慈善活動について、「女性知識人・あなたの友」グループの副担当者であるグエン・ティ・イエン・フンさんは次のように明らかにしました。
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「ヒエウ医師はインスピレーションを与える人で、特に若い人々や科学者を含む非常に多くの人々を巻き込み、引きつけてきました。ヒエウ医師は根っからの兵士らしさを持ち、慈悲深い心を持っています」
ヒエウさんの絶え間ない努力は、多くの高貴な勲章によって認められてきました。それらは、一等戦功勲章、三等抗戦勲章、一等祖国防衛勲章、二等・三等光栄戦士勲章、そして、若い世代のための功労メダル、科学技術事業のための功労メダル、女性解放事業のための功労メダル、決勝軍旗功労メダルなどです。また、1972年クアンチ城塞防衛戦士記念章も授与されています。
戦場における若き忠実な兵士から、平和な時代における献身的な指導者、そして今や国境地帯の貧しい人々の「妖精」となった彼女は、愛情に満ちた、充実した意味のある生涯を送っています。