マイさんの夫婦
南部キエン・ザン省、ハーテェン県、テェン・ハイ村のホン・ドク島で暮し働いている大多数の男の人は、水産物の養殖と水揚げに従事していますが、女性は、家事と育児が普通で普通です。しかし、この島に住むレ・ティ・マイさんは、男性がやる仕事を成功させました。
ホンチェ村にあるマイさんの立派な家は、お母さんは常に留守で末っ子は一人で遊んでいます。普段、マイさんは海水魚の養殖に忙しいので、めったに家にいないからです。
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「私は、いつも魚の養殖槽で、魚に餌をやりながら、雇用者にご飯を炊きます。主人が定年退職してからも、手伝ってくれています。」
このように語った、マイさんは自分の家庭のかつての困難な状況について明らかにしました。
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「以前、我が家はとても困難でした。魚の揚る油を買うお金もなかったし、子供の学費さえも払えないときもありました。そんな訳、子供は小学校を退学せざるを得ませんでした。現在、二人の子供は水揚げ用の小船を漕ぎしています。」
それをきっかけで、マイさんは困難状況を脱出しました。昼間、彼女は網で魚をとり、夫は、雇われの小船乗りの仕事をしました。真面目に働いたお陰で。マイさんの夫婦は、小船を購入するために現地住民から資金援助を受けました。
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「最初に小船を所有したのは十年ほど前でした。1億ドンで購入しました。当時、私は5~6百万ドンしかなかったです。残りは知り合いが貸してくれたお金です。今は、全部返えしたよ。」
起業時に、たった1千万ドン程度のお金しかなかったマイさんは、現在、20億ドン相当の小船4隻と、10億ドン相当の7つの魚養殖池を所有しています。この4隻の小船は、毎年、水揚げした魚を販売する収益数億ドンを生み出しています。マイさんは「時々、自分の巨額の財産を見て、まるで夢を見ているかのような気分だった。」と明らかにしました。
海水魚の養殖は大変な仕事だけれども、高収入をもたらします。2014年始めに、マイさんは、面積500平方メートルに5千匹のスギとタマカイの養殖を試験的に行ないました。当初、色々な困難がありました。魚が病気でも治療を受けられなかったし、養殖が正しくなかったため、魚の半分が死んだりしました。それらの経験を積み、2015年に入りマイさんは、タマカイの養殖面積を拡張することにしています。マイさんの主人ルオン・バン・ソンさんは次のように語りました。
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「私たちは1976年に結婚しました。当時、この島に住む家庭は20戸あまりでした。海水魚の水揚げ用具は粗末なものばかりでした。1990年に、20馬力の小船を所有し始めました。1992年当時、私は村の祖国戦線委員長で、奥さんは、家庭の経済発展を担当しました。」
ホン・ドク島に住む女性はもちろん、男の人でさえも、マイさんの健康と真面目さに敬服をしています。