ベトナム畜産部門で2度にわたり労働英雄称号を受賞したホー・ザオ氏が去る10月14日に死去しました。86歳でした。
ホー・ザオ氏は1930年に中部クアンガイ省ソンティン県、ティンソン村の出身。12歳から、水牛の世話役で雇われ仕事をしました。18歳になると革命運動に参加し従軍しました。その後、北部バービ乳牛農場で養豚・養牛の職に就きました。彼は、牛、豚の治療と人工授精を成功させたことで、1966年に労働英雄という称号を授与されました。1976年に、彼は、南部ソンベ省の水牛・草畑研究センターに転職し、1977年に、インドはベトナムに502頭のムラー種の水牛を供与しました。その後、ホーザオ氏はソンベ農場で水牛の飼育を担当し、1986年に、人工授精の適応を成功させ、インドから供与された水牛の数を数千頭に増やした成果で、再び労働英雄として表彰されました。
1990年に退職して帰郷したホー・ザオ氏は当時にファム・バン・ドン首相の委託に基づき、現地住民の貧困解消を助ける為、同首相からもらった15頭のインド水牛を飼育し、地元の養牛事業を推進してきました。それから長年が過ぎた現在でも地元の多くの人々は、ホー・ザオ氏の姿を忘れていません。現地の住民ホアン・タイ・ニさんの話です。
(テープ)
「この地に住む誰もがホー・ザオ氏について知っています。毎日のように、朝早くからお弁当を持参して、家を出て暗くなるまで戻らない彼は水牛の飼育に夢中になって、真面目に働いたんだよ。」
ホー・ザオ氏は動物の声が解ると多くの人から言われました。本当かどうかはわかりませんが、バービ乳牛農場にある多くの融通がきかない牛、あるいは、地元の水牛と仲良くになりたくないインド水牛などでも、彼の飼育方法で、皆おとなしくなり、よく食べて早い成長をみせました。インド水牛の飼育場があるクアンガイ省ギアハイン県ハイントアン村の党委員会のグェン・フウ・ハイ委員長は、ホーザオ氏について次のように述べています。
(テープ)
「ホーザオ氏のような人だけがこの仕事をこなせます。年をとっても、訓練課程を経て、労働者階級を深く認識したことにより、労働生産事業に一生を捧げました。」
一方、ホーザオ氏にちなんだ数多くの記事を執筆したジャーナリストのチャン・ダンさんは次のように明らかにしています。
(テープ)
「私にとって、ホーザオ氏は清廉な人です。彼は、忠実な生活ぶりで、仕事に夢中になり、常に任務を立派に果たしました。実は、誰もが、忠実と責任感を持っていますが、その品質を十分に果たした人は皆ではないのです。ホーザオ氏は、それらの品質を十分に実現させた人だと思います。彼は2度の労働英雄称号に値します。」
現在、若々しい草畑にその優しい英雄の足跡と姿はないけれども、ホーザオ氏の姿はいつまでも多くのベトナム人の心に生き続けるでしょう。