ホーチミン市の移り変わり

今から39年前の4月30日、南部解放部隊の金星紅旗が独立宮殿に翻り、サイゴンカイライ政権の崩壊を告げ、当時のサイゴン市で、現在のホーチミン市に新しい発展段階を切り開きました。毎年4月になると、独立宮殿を見学する人々の数が増えています。ここにやってくる人々は1975年以来ホーチミン市が達成した変貌を自分の目で試かめるためのようです。

ホーチミン市の移り変わり - ảnh 1

独立宮殿を見学するため中部ビンディン省からやってきたというレ・バン・トア( Le Van Thoa) さんはホーチミン市の変貌に驚き、次のように語りました。

(テープ)

「ホーチミン市は著しい変貌を遂げました。これは前例がないでしょう。今日のホーチミン市が花とネオンで鮮やかになり、高層ビル、工場、トンネルなどが相次いで建設されました。これはこの市の市民の労働力と知恵から生まれた変貌です」

ホーチミン市の前身であるサイゴン解放のための戦いに参加したトアさんは常にホーチミン市の発展振りを見守っています。1975年から1986年までの期間に、ホーチミン市は国家丸抱え方式を徐々にやめて、市民の生産活動に有利な条件を作りました。そして、1986年から1995年まで、ホーチミン市はベトナム共産党の第6回大会に出されたドイモイ政策の実施に力を入れました。そして、ベトナムがWTO世界貿易機関へ加盟してから、ホーチミン市は高度な経済成長率を維持し、全国で最も魅力的な投資先となりました。

一方、南部ドンナイ省に住むチャン・アイン・キェット( Tran Anh Kiet) さんは近年、ホーチミン市は著しい発展を見せてきたと述べ、次のように語りました。

(テープ)

「毎年、数回にわたりホーチミン市を訪れますが、訪れるたびに、この市の変貌ぶりを見ています。ハノイや中部ダナン市と比べると、ホーチミン市の変貌は最も早いでしょう。ホーチミン市の経済、社会、人口などはいずれも全国トップに立っています。市民の生活水準も大きく改善されてきました。」

ホーチミン市の移り変わり - ảnh 2

2005年から2010年まで、ホーチミン市では、フーミー橋、オンライン橋、タンソンニャットとビンロイを結ぶ第3環状道路、ハノイハイウェイー、サイゴン川の底を抜けるトゥティムトンネルなど一連のインフラが整備されました。2011年から2015年まで、ホーチミン市はGDP 国内総生産の成長率を12%に達するため取り組んでいます。南部ビンズオン省の経済技術大学の講師チャン・バン・ビェン ( Tran Van Bien) さんは次のように語りました。

(テープ)

「ホーチミン市のインフラは日増しに近代化されています。ここに住む若者たちの就職チャンスが多いです。ホーチミン市に住むと若者の学習、交流などの需要が応えられるようになります」

ホーチミン市のこれらの変貌は1975年4月30日の南部完全解放から始められたと言えるでしょう。近い将来、ホーチミン市が近隣国の各都市と同じように発展することが期待されています。

ご感想

他の情報