(VOVWORLD) - 1975年にベトナムが統一された直後、ある国際ジャーナリストは「ベトナムが世界で存在感を持つためには少なくとも100年かかる」との見解を出しました。しかし実際には、それからわずか50年で、ベトナムは外交、経済など多くの分野において力強い発展を遂げました。
アラン・トマス氏(写真:Hương Giang/TTXVN) |
2000年代初頭からたびたびベトナムを訪れているフランス人ジャーナリストであるアラン・トマス氏は、この小さくも頑強不屈の精神を持つ国の社会的な躍進に深い感銘を受けました。トマス氏は50年前に、ベトナム人民軍の戦車がホーチミン市の独立宮殿の門を打ち破った瞬間は、長年にわたる戦争に終止符を打ち、ベトナム国民が自らの政治的・経済的運命を決定する時が来た出来事であると述べ、次のように語りました。
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「ベトナムは、小国でありながらも、かつて無敵と思われた国を敗北させ、今、アジア経済の強国へと力強く歩んでゆく証です」
また、トマス氏は都市部で顕著になってきた中間層の台頭、生活水準の向上、国内消費の急増、そして不動産市場の急成長などを強調するとともにベトナム国民の教育を重んじる伝統についても高く評価し、「学びや仕事に対する真面目さ、勤勉さ、規律こそが、ベトナムがグローバル経済とデジタル4.0時代で躍進する原動力になる」と明らかにしました。
そのほか、トマス氏は、過去50年間にわたり維持されてきたベトナムの政治的・社会的安定に「深い敬意を表明しました。
(テープ)
「大きな混乱もなく、深刻な社会的対立もありませんでした。これは、ベトナムがテクノロジーとグローバル化が進んでいる中で、自信を持って未来へと歩むための重要な要素です」
フランス人ジャーナリストであるトマス氏はベトナム人はかつて力強い外国侵略者を打ち破った国であり、その精神は今なお集団的な意識の中に深く根付いている。その意志と団結精神こそが、これからもベトナムが直面する様々な困難を乗り越えるための原動力となる」と述べました。
南部完全解放50周年を迎える今、「独立」「自由」、そして「平和な環境の維持」がいかに国の発展にとって重要であるかを改めて実感できるチャンスとなっています。解放から半世紀が経ち、かつて激しく対立していたベトナムとアメリカは、今や和解と協力の世界的な模範として「包括的な戦略的パートナーシップ」を築き上げています。
クレイグ・マクナマラ氏(写真提供:本人) |
そんな中、今年3月初旬、「ベトナム戦争の設計者」とも称されるアメリカのロバート・マクナマラ元国防長官の息子であるクレイグ・マクナマラ氏がベトナムを訪れました。
クレイグ氏は、ハノイにあるベトナム軍事歴史博物館での講演を行いました。この博物館では、ベトナム人民軍の誕生、および、これまで収めてきた勝利を物語る数多くの資料や遺品が展示されています。クレイグ・マクナマラ氏は次のように語りました。
(テープ)
「私はベトナム軍事歴史博物館を見学し、多くの“失われた平和の機会”に心を打たれました。だからこそ私は今ここにいて、過去に起きたことについて学び、対話するために来たのです。この博物館の訪問は、私にとって非常に大きなインスピレーションとなりました」
ベトナム滞在期間中、クレイグ氏はダナンの海岸、マクナマラ電子柵、ターコン空港、そしてソンミー村(ミーライ事件の現場)など、父と関わりのある場所を含む6つの省や都市を訪問しました。また、クレイグ氏はチュオンソン戦没者墓地をお参りし、数百の墓に線香を手向け、1950年に戦死した一人の兵士の墓の前で足を止め、涙を流しました。なぜなら、その兵士が命を落とした日こそ、クレイグ氏が生まれた日だったからです。
(テープ)
「かつてベトナムの伝説的軍人であるボー・グエン・ザーップ大将が、父に「「あなた方は我々の文化を理解していない」語りました。私の父がベトナムに来て、この国の何千年にもわたる歴史、そして統一を渇望する人々の想いに直接触れることがなかったのを残念だと思っています。今、私は未来を築くためにベトナムに来たのです」
クレイグ氏とベトナム復員軍人(写真提供:本人) |
こう語ったクレイグ氏は、今後の人生を、ベトナムにおける戦争の後遺症を克服する活動に捧げると表明しました。その中に、父ロバート・マクナマラが米国防長官として関与した枯葉剤・ダイオキシン被害への支援も含まれています。
2025年4月30日、ベトナムは国家統一から50年という歴史的節目を迎えます。1975年4月30日の勝利は、数十年にわたる独立闘争に終止符を打つと同時に、国際社会におけるベトナムの新たな台頭の幕開けでもありました。平和への道は決して平坦ではなく、多くの苦難と犠牲がありました。しかし今、ベトナムは一つになり、揺るぎない自信と誇りを胸に、新たな発展の時代へと踏み出しています。その歩みは、かつての精神的遺産を礎としながら、未来へと続いています。