谷崎泰明前大使
谷崎泰明大使とは、冬の冷たい風雨の中で北部のハイフォン市でお会いしました。大使の第一印象は、やさしそうな目の方という印象を受けました。谷崎大使の白髪は雨で濡れていましたが、彼のやさしそうな表情は海に向けられ、ベトナムを友好訪問するためにハイフォン港に寄港する3隻の日本の護衛艦を待っていました。私は、谷崎大使に、ハノイ市の子供たちが日本の東日大震災被災地に心を込めて折った5千羽の折鶴を手渡しました。谷崎大使の瞳は涙で輝いていました。
谷崎大使は、「自分の大きな責任は、ベトナムの子ども達からのメッセージを被災地の子ども達に伝えるということです。この折鶴は、日本の人々や、被災地の子ども達にとって、大震災による被害と痛手を乗り越えるように大きな力となります。」と述べました。
その後、ハノイ貿易大学において谷崎大使は「今後の日越経済関係展望」をテーマに講演を行いました。会場は学生で埋めつくされ、盛大な拍手の中で始まりました。大使は、最初に日本とベトナム両国の輝かしい歴史的なつながりを述べ、そして、現在と将来について、次の内容を語りました。日本とベトナムは、2006年10月にグエン・タン・ズン首相の訪日を機会に、互いに戦略的パートナーシップ関係を結びました。
ODAについては、日本はベトナムに対してODAを再開してから20年にわたり供与している中、近年これまでの額を大幅に超えて過去最高額を供与し、世界有数のODA供与国となっています。ベトナムは、その目覚しい発展に伴い、対応を間違うと成長の純化に繋がりかねない幾つかの新たな課題に直面しつつあります。昨年1月の共産党大会で採択された「経済社会発展10ヵ年戦略2011-2020」はこのような問題意識を念頭において策定されています。ベトナムは、2020年までに近代化工業国化するという目標を掲げています。
ベトナム政府は、「市場経済制度の向上」、「インフラ開発」及び「人材育成」という三つのことを掲げました。日本は、先に工業国化を実現した国として、自らの教訓を活かし、ベトナムの工業化の手助けをしたいと思っています。また、今後のベトナムに対する協力のキーワードとして、三つのPを掲げます。それは、Process、Partnership、People developmentです。日本は、1960年代、当時の池田総理大臣によって、公務員の賃金を2倍に増やして優秀な人材を育成し、工業を支援し、高速鉄道などの社会インフラ整備をするという政策を採択したのです。そして、谷崎大使は、最後に、「10年後のためには木を植え、100年後のためには人を育てよ」というホー・チ・ミン主席の言葉を述べ、「ベトナムの若い世代の人たちは理想を持って学業に励み、将来、ベトナムに、世界に貢献する優秀な人材になってください」というメッセージを送ってくれました。
このように、先週お伝えした坂場前々大使、そして今日お伝えした谷崎泰明前大使からはベトナムを愛する気持ちが伝わってきます。ベトナムの将来に対してお二人の元大使の率直な意見はベトナム人である私達よりもベトナムを見る目が客観的で公平なものだと思わざるを得ません。