(VOVWORLD) - チュオンサ諸島は国と全国民の支援により、毎日のように大きく変貌していますが、いつも変わらないことは「必ず国の海と島を守ろう」というこの諸島に駐屯している幹部と兵士及び住民の決意です。
チュオンサ島 |
ベトナム東部海域(南シナ海)にあるチュオンサ諸島は近年、中国が埋め立て工事を進めるなどこの諸島での実効支配を強めるなか、国際社会の注目を集めています。しかし、この諸島は防衛事業だけでなく、経済社会発展事業でも大きな変貌を見せており、ベトナム東部海域における国の強固な要塞となっています。
日本では南沙諸島と言われ、英語名ではスプラトリー諸島と呼ばれるこの諸島は岩礁・砂州を含む無数の海洋地形からなり、これらの多くは環礁の一部を形成しています。ベトナムが実効支配している島の中で、チュオンサ島は一番大きい島ですが、面積は15ヘクタールです。現在では、小学校や病院などもあり、滑走路や港も整備されています。携帯電話の電波も届いています。全てのインフラがそろっている訳ではありませんが、1つの町となっています。
4月29日のチュオンサ島解放と4月30日の南部完全解放46周年を前に、チュオンサ町の奥にあるチャン・ティ・ミン・クックさんの家には、町の住民が集まって解放記念の夕べで披露される文芸演目を練習する場となりました。ミンさんは、近年、島民の物心両面での生活は益々改善されていると述べ、次のように語りました。
(テープ)
「国の呼びかけに応え、我が家は国の島を守る事業に貢献したいと思ってここに引越してきました。我が家は個々の生活にも早く慣れてきました。島の天候のためか、子どもはとても健康ですよ。4歳から学校に通うことができます。また、6か月ごとに、健康診断を無料で受けています。そして、日常生活では、もし困難があれば、島に駐屯している兵士たちから多くの支援を受けていますよ。」
チュオンサ島の教室 |
20年前は、兵士の駐屯地がある以外は何もない状態でしたが、現在、チュオンサ諸島に属するチュオンサや、シントン、ソントゥテイなどの各島の生活は大陸の生活と大きく違わないので、これらの島に引越ししたい人が増えています。学校や診療所、滑走路、港など生活に必要なインフラが整備されているだけでなく、寺院や神社など信仰に必要なものもそろっています。
ベトナムの古い書物によりますと、ベトナムの最後の王朝であるグエン朝の第二代皇帝、ミンマン王は寺院を建立するため、何度も建設資材と人材をチュオンサ諸島に派遣したと言われています。寺院や神社は、漁業に携わる人たちの安全を祈願するためのものです。現在も、この諸島には寺院が6カ所あり、その中で、かつての寺院から改装されたものもあれば、新しく建立されたものもあります。
寺院があるおかげで、チュオンサ諸島は遥か遠い離島のはずが、沿海地帯の漁村になったかのようです。こうした寺院は、離島の島民の精神生活を支えるだけでなく、チュオンサ諸島の平和のシンボルともなっています。
チュオンサ島の子どもたち |
また、チュオンサ諸島は灯台システムもかなり整備されています。現在、この諸島には9つの灯台があります。灯台は、船が海上での位置を知るための航路標識と言われていますが、灯台を建てればそこはその国と言えます。そのため、交通運輸省は、ベトナムが実効支配しているチュオンサ諸島の21のすべての島に灯台建設を検討しています。現在、13の島には灯台がありません。灯台は、船の安全を守る他に、東部海域におけるベトナムの領有権を主張する大事なものなのです。
チュオンサ諸島のこうした平穏な生活を守るのは島に駐屯している幹部と兵士たちです。これらの幹部と兵士たちはいつも、海軍の輝かしい伝統を誇っており、国の海と島を守る決意です。チュオンサ諸島部隊の政治担当者ルオン・スアン・ザップ大佐は次のように語りました。
(テープ)
「チュオンサ諸島部隊は、前の世代の幹部と兵士の犠牲と努力をモチーフにした映像や写真を利用し、兵士たちへの教育を行っています。これらの映像や写真を通じて、兵士たちは、前の世代が島でどのような大変な生活を送ったのか、どのように努力をして島を守ったのかを理解することができました。これにより、その誇りをもって「チュオンサ諸島の兵士」という呼び名に値するように取り組んでいます。」
チュオンサ諸島は国と全国民の支援により、毎日のように大きく変貌していますが、いつも変わらないことは「必ず国の海と島を守ろう」というこの諸島に駐屯している幹部と兵士及び住民の決意です。