トン・ドク・タン国家主席、革命的精神のお手本

(VOVWORLD) -トン・ドク・タン国家主席は、1888年8月に生まれ、1980年3月に、92歳で亡くなりました。同主席は、革命と民族のために生涯を捧げたお手本となった勇敢な共産戦士でした。また、ホーチミン主席と共に独立運動に携わり、ベトナム共産党、国家、祖国戦線の優れた指導者でもあります。トン・ドク・タン国家主席の一生と革命事業は革命的精神のお手本です。
トン・ドク・タン国家主席、革命的精神のお手本 - ảnh 1  トン・ドク・タン国家主席(1888-1980)

トン・ドク・タン国家主席は、南部ロンスエン(Long Xuyên)省、現在アンザン(An Giang)省にある貧しい農民家庭に生まれました。機械技術を学んだ後、24歳になった1912年、トン・ドク・タン氏は、バソン(Ba Son)造船所で働き、ここでの劣悪な労働環境の改善を求めて、労働者によるストライキを指導して、革命活動をスタートさせました。

ホーチミン国家政治学院のレ・コック・リー副院長は「トン・ドク・タン氏は、労働者階級の指導者であったので、党の指導者になった」と明らかに、次のように語っています。

(テープ)

「若き日のトン・ドク・タン氏は1919年に、ロシアの10月革命を支援するため黒海に出航したフランス軍艦の船員を務めました。その時に、彼は他の船員たちと共に、ソビエト政権を保護するため、帝国主義の対ソ干渉戦争に対抗しました。帰国後、彼は、サイゴン・チョロン(Sài gòn - Chợ lớn)の労働運動に参加し、植民地主義者の抑圧に対抗し、労働者の権利を求めました。」

ホーチミン主席が死去したのち、トン・ドク・タン氏は党、国家、国民によって、国家主席に選出されました。それ以降、トン・ドク・タン国家主席は、党中央委員会と共に、全国民、全軍を指導して、ホーチミン主席の遺書を履行し、ベトナム南部の解放・国の統一を成し遂げました。

長年にわたって、トン・ドク・タン国家主席の研究を行ってきたハノイ国家大学のド・クアン・フン教授は次のように語っています。

(テープ)

「ホーチミン主席が亡くなり、そしてトン・ドク・タン氏が国家主席に選出されたころ、彼ほどこの職務を遂行できる人はいませんでした。生前、ホーチミン主席とトン・ドク・タン国家主席は友人同士のように仲良しになっていました。当時、トン・ドク・タン国家主席は、信頼のある人であり、元々、南部の出身者であることから、南ベトナム完全解放と南北統一を控えて、ベトナムの国家主席という職務に値する人です。」

 約70年間の革命活動に連続的に参加していたトン・ドク・タン国家主席は、今日と後の世代にとって、優れた指導者としてのお手本となっています。グェン・ティ・ゾアン前国家副主席は「トン・ドク・タン国家主席は優れた政治家であるだけではなく、民族大団結作りに関するホーチミン思想に理論的貢献をしてきた」と明らかにし、次のように語りました。

(テープ)

「民族大団結の精神に関するホーチミン国家主席とトン・ドク・タン国家主席の教訓を得て、我々は、団結、愛国、勇敢の精神を身に付けて、外敵との戦いを勝ち取るようになりました。」

トン・ドク・タン国家主席は、革命事業において、常に、党と国民への忠誠心を示しており、勇敢、不屈、勤勉・節約・清廉・正当・知恵・公平・無私という精神のお手本となっています。

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