人民軍の資質を発揮する復員軍人フアム・ゴック・ソンさん
(VOVWORLD) -北部タイビン省ドンフン県フーチャウ村出身の復員軍人フアム・ゴック・ソンさんは過去の戦争中、ベトナム中部クアンチ省で熾烈を極めた激戦に参加した経験から、今日の平和の生活を大切にしています。
ソンさんは障害率62%の復員軍人ですが、今は70歳を迎えたにも関わらず、家族の経済発展に熱心です。ベトナム人民軍の兵士の資質を抱えているソンさんは稼いだお金のほとんどを、困難な状況にある戦友を支援したり、亡くなった戦友に哀悼の意を表すために費やしました。
ファム ・ゴック・ ソンさん(右の人)(写真: TTXVN) |
1972 年の夏、18 歳になったタイビン省に住む青年ファム ・ゴック・ ソンさんは軍隊に入隊し、戦争中、南部と北部との人員、資材を運ぶため建設されたチュオンソンルートの運転手になりました。ある夜、物資を戦場に輸送していた際、車列の先頭を走っていたソンさんのトラックが敵軍の爆弾に攻撃され、炎上しました。炎がトラックのキャビンを包み込みましたが、ソンさんの意志は揺ることはありませんでした。ソンさんの話です。
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「 クアンチ古城を攻撃する作戦の準備活動の一環として、私は 42 台の補給車両からなる車団を率いて、クアンチー古城に向かっていきました。私のトラックが爆弾に当たって、燃えたとき、“自分が死んで、私のトラックがまだ道路上にあれば、後ろの車列も破壊されるだろう”と思いました。その時、私の体は燃え上がっており、ほかの兵士とトラックを救うため、自分が犠牲になろうと決意をしました。そこで、落ち着いて車を坂道に乗せて、崖から転落させました。斜面で私は飛び出し、車は崖に激突しました。その結果、敵軍の爆撃機は燃えている私の車両に集中砲火を加え、残りの 41 台の車両と運転手の安全を確保できました。その後、私は20日間にわたり治療を受け、傷は治ったので、引き続き戦闘に参加しました」
その後、ソンさんの戦友は負傷し全身に重度の火傷を負ったソンさんに「燃えたソン」という名前を付けました。これはソンさんにとって忘れられない思い出でもあります。
小柄で、戦争の痕跡が残る傷だらけの顔のソンさんは復員してからも、かつての人民軍兵士としての資質を保持しています。ソン氏は復員してからも仕事を辞めず、経済活動に参加し続けました。 1996 年、 ソンさんは、困難な状況にある傷病軍人を支援するため、7月27日という輸送会社を設立しました。
フーチャウ村に住むゴー・ティ・ロイさん(写真: TTXVN) |
一方、長年にわたり、ソンさんは常に自分の収入の大部分を困難な状況にある復員軍人を支援してきました。ソンさんの支援により、チャリティハウスを受けたフーチャウ村に住むゴー・ティ・ロイさんは次のように語りました。
(テープ)
「私の古い家は30年前に建てたもので、老朽化していました。ソンさんの支援により、私は新しい家を持てるようになりました」
さらに、毎年、ベトナムの伝統的旧正月テトがやってくると、ソンさんは革命功労者、貧困世帯、かつての戦友たちなど何百もの贈り物を用意しています。ソンは次のように語りました。
(テープ)
「戦闘に参加し、戦友が犠牲になったり負傷したりするのを目撃した私は兵士たちがどれほど多くの血を流さなければならなかったのかがわかります。私自身も怪我をしましたが、戦争後、生き残り、戦友より幸運だと思っています。戦友を助けることができ、幸せを感じます。健康であれば、頑張ります」
フーチャウ村党委員会のフアム・タイン・ハー委員長は「ソンさんは地元で展開されている“ホーチミン主席の道徳を見習おう”運動における手本となっている」と明らかにし、次のように語りました。
(テープ)
「ソンさんは障害を持っていますが、常に社会活動や慈善活動に積極的に参加しています。彼は自己改善の精神を持ち、自分の家族の生活水準を改善するだけでなく、困難な状況にある戦友を助ける条件を備えています」
ソンさんは、健康で歩ける限り、そして経済的能力がある限り、戦場に犠牲になった戦友の恩に報いたり、生存している戦友を支援するため、引き続き努力します。