チュンさん
平和な時代に生まれたのにレ・バン・チュンさんの生活は戦争の後遺症と結びついています。彼は生後まもなく片方の足が麻痺に罹り、第2世代の枯葉剤被害者となっています。
1961年から1971年までの対アメリカ軍との闘争中のアメリカ軍は中部クアンチ省にダイオキシンを含む大量の枯葉剤を散布しました。枯葉剤の被害は、戦争に参戦した復員軍人だけでなく、その第2、第3世代にまで影響をもたらしています。チュンさん一家は、その戦場に暮らしていることから、彼の兄弟は3人とも枯葉剤被害者です。チュンさんは次のように語りました。
(テープ)
「1977年に生まれた直後、私は枯葉剤の後遺症により、片方の足が麻痺に罹りました。中学1年生までに退学しました。その後、家族の負担を軽くするため、職業訓練を受けることにしました。」
チュンさんの話によりますと、職業訓練コースに参加した後、溶接、精米、豚の飼育など色々な仕事をしました。最も重要なのは、チュンさんが思いもよらなかったことは自分を愛してくれる女性が現れたということです。というのは、身体障がい者なのでチュンさんでさえも、結婚が怖かったです。結婚して、もし自分の子どもも枯葉剤の被害で悩む恐れが高いと思ったからです。そこで、彼は、両親を助けるために、仕事にだけを集中していました。しかし、チュンさんは、本当に心から愛してくれる女性に出会ったのです。その女性は現在のチュンさんの奥さんです。2006年に、彼は結婚しました。チュンさんは奥さんと出会った時に、彼女の今でも忘れない次のような言葉を言ったと明らかにしました。
(テープ)
「他の人が貴方に対しどんなに偏見を持ったとしても、私は気にしないからね。貴方は良い人だし、貴方を愛しているから。貴方は頑張らなければならないのよ。そんな奥さんの発言が、今でも、私の原動力となっています。」
結婚した後、チュンさんは、お金を借リて購入したトラックやショベルカーなど建設機械を運転する仕事で生計を立てています。チュンさんは次のように語りました。
(テープ)
「自分が現在のようになるとはあまり思わなかったです。今、私は努力して自分を乗り越えることができた。経済的に余裕があり幸せな家庭を持つことなんて、誰もが想像できなかったからです。」
チュンさんは「全力で仕事をし、有益な生活を送る」という方針を掲げています。クアンチ省枯葉剤被害者協会のレ・バン・ダン会長は次のように語りました。
(テープ)
「チュンさんは自分自身が枯葉剤被害者ですが、小さいながら企業を営むことができました。また、彼の企業は、現地の幾人かの労働者を雇っています。これは、彼の家族だけでなく、他の人々の生活改善に寄与しています。」
自分の努力と家族の愛情がチュンさんの生きる原動力となっています。小柄で歩行困難に悩んでいるチュンさんの心の中には、非常な力と不屈の精神が宿っているのでしょう。