チャン・バン・シンさんは30代で北部ランソン(LangSon)省の出身ですが、13年前に家族全員で、同省の東南方の約50キロ離れたクアンニン(QuangNinh)省モンカイ(MongCai)町バクソン(BacSon)村に引越しました。この地で、土地を開墾し起業をしてきたシンさんはバクサン村を第二の故郷と見なしています。シンさんの家族は数ヘクタールの森林の植林で生計を立てています。年は若いですがシンさんは村人の全て、特に高齢層に常に関心を払っています。
2011年に、シンさんはバクソン村の村長に任命されました。村長の若返りについてバクソン村人民委員会のグェン・バン・ホアン委員長は次のように語りました。
(テープ)
「かつての中年の村長には熱心さがありましたが多くの面では制限があり、それに、経験はあるものの元気がありませんでした。そして、義務教育さえ卒業してない村長もいました、情報技術を使いこなせない人もいました。そうした理由で、長期的にみて、若い幹部を採用することにしました。2011年に、私たちは4人の若い村長を現職の村長にすることにしました。前村長らは若い村長を補助する為に、自発的に副村長に徹しています。」
30代のシンさんは当初、宣伝作業や人々との接し方、インターネットの使い方などを勉強しなければなりませんでした。さらに、村での情報通信システムはまだ十分に整備されていない為、何かの用事があれば、彼はいつも村人の元までかけつけます。
(テープ)
「最初は知らないことばかりでした。でもよく行き来するので、もう慣れて、もし村人に用事があれば、早朝でも夜遅い時でもかけつけます。」
(現場の音声)
村長を務めるようになってから、バイクはシンさんの伴奏者となっています。
村人と接する機会が多いため、色々がことを身に付けるようになりました。特に現地で暮らす少数民族の言語です。
(テープ)
「当初、私はテイ族とキン族の言葉しか話せませんでした。でも、13年にわたりこの地で暮らし、色々な人々と接する機会があるため、サンチ族、ザオ族、そして中国語も話せるようになりました。そのお陰で、地元の人々への宣伝啓蒙活動は楽になりました。」
任務を全うするだけではなく、シンさんは経済発展の面でも成功を遂げています。バクソン村は主に丘陵の土地のため、現地住民はアカシアの栽培で生計を立てています。シンさんの家庭は5ヘクタールのアカシアを栽培しています。彼は、高い収獲量を上げるために現地住民にアカシアの栽培技術を案内しました。
(テープ)
「当初、村人は土地を開墾して、荒地を緑化する為に植林をしていました。そして、2000年以降、村人はアカシアの栽培技術を導入しました。一世帯あたり平均2~3ヘクタールのアカシアを栽培しています。アカシアの収穫は土地によって違いますが、7~10年かかります。」
3年近く村長を勤める中で、シンさんは村人から愛されるようになりました。